2012年05月15日

2012年05月14日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
かつて拙著『表現よみとは何か』(1995)でミハイル・バフチンの理論をヒントに朗読における対話構造を論じた。文の各部には常にダレかがダレかに呼びかけて応える構造がある。それをとらえて読み分けるという論であった。今は『朗読の教科書』で、そのための作業法として記号づけを示している。 at 05/14 12:06

WATANABE_tomo / 渡辺知明
「自由に朗読しなさい」という課題ではなく、ある種のカセを与えて、「これをこんなふうに読みなさい」とする。それによって、無自覚に読んできた朗読の方法が問われることになる。それにどう対処するかという努力が、読み手を成長させる。これは朗読ばかりではなく、指導や教育の基本に通じるものだ。 at 05/14 11:55

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『表現よみとは何か』(1995明治図書)でミハイル・バフチンの理論をヒントに、朗読における対話構造を論じた。文の各部には常にダレかがダレかに呼びかけて応える構造がある。それをとらえて読み分けるという論であった。今は読み分けの具体的な作業方法として記号づけという方法がある訳だ。 at 05/14 11:46

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読にとって文学作品の理解と解釈とは必要不可欠な要素だ。理解と解釈との間には大きな距離がある。まずぎりぎりまで文そのものを読みこんで理解せねばならぬ。解釈は次の段階だ。だがあまりに早く解釈に飛躍して作品が論ぜられる傾向がある。単語で意味を拾うのでない1文ごとの正確な理解が基礎だ。 at 05/14 10:35

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』は上手な朗読の仕方が書かれているのではありません。声に出して本の内容を理解しながら読める能力を身につけるための方法が、その訓練方法とともに書かれているのです。どうしたら本の内容がたっぷり味わえるか。どうしたら声に出しながら内容を理解できるか。関心ありませんか。 at 05/14 10:24

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』は344頁もあります。「重くて持ち歩くのが大変だ」と苦情が出ます。でも、発声・発音からアクセント・イントネーションの音声理論の本、文法入門の本、文学作品の文体論の本と3冊分なのですから我慢してお持ちください。ほかに文庫本が1冊あれば朗読の勉強には十分なのです。 at 05/14 10:20

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読はだれでもできる。勉強なんかしなくても読めると思うかもしれない。それなりに読める。だが、そもそも文章が読めているかどうかが問題だ。学校教育では、文を黙読して抽象的に意味を読み取って声に乗せることは学んでいる。だが、声に出して読みながら意味を生み出すという訓練はしたことがない。 at 05/14 10:02

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の理想は、見せられた文学作品をその場でいきなり表現して見事に読めることだ。そのための基礎が必要だ。文字の読みから始まって、文の切れ目が見え、意味のつながりが分かり、文と文との論理関係が見通せることだ。その能力をつける有効な修行が記号づけである。あらゆる文を読むための訓練だ。 at 05/14 09:46

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の表現能力の基礎とは、様ざまな技術を目的に応じて使いこなせることだ。アクセントについて言うなら、辞典通りのアクセントで読めるかどうかではない。そんなものは調べたらわかる。重要なのは技術の自由さだ。例えば、「こころ」の3つの音節のいずれにでもアクセントをつけて読めるかどうかだ。 at 05/14 09:03

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読を聴くというとき、聞き手は作品を聴くのか、読み手の表現を聴くのか。入り口は読み手の声やキャラクターなのだろう。だが、いつの間にか、読み手がその人でなくなり、別世界のできごとを語っているように聞こえてきたらしめたものだ。読み手はもちろん聞き手も作品の世界にはいっている証拠だ。 at 05/14 00:12
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2012年05月14日

2012年05月13日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』をテキストにした通信添削講座を考えた。読んだだけではなく実際に指導してほしいという声も聞く。東京周辺なら指導している場はあるが、遠方の方たちには録音のやり取りで指導ができるかもしれない。まず数人のテストケースを考えている。受講を希望される方はご連絡ください。 at 05/13 19:06

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の表現の指導は禅に似ている。黙読によって解釈した観念を声に乗せるわけではない。読み手が声を発するとともに解釈に到達する手助けをするのだ。たとえ言葉による指示が介在するときでも、笑って読めとか、目を開いて読めとか、腰で声を止めろなどであって、作品の意味や解釈を語るものではない。 at 05/13 09:32
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2012年05月13日

2012年05月12日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の表現に正解はない。だが、初歩から上級まで守るべき基本はある。文の意味を正確に読むことだ。よく読めば、間や区切り、アクセント、イントネーションについての原則も読み取れる。それは文字を間違って読まないのと同じことだ。それなのに、そこを外すのが自由な表現だと思いがちな危険がある。 at 05/12 20:19

WATANABE_tomo / 渡辺知明
文語体の聖書の朗読を練習したことがある。太宰治「駈込み訴え」の影響である。聖書は文語体がいい。そのコツは、2音3音の区切りにもとづいて、明確な強弱アクセントをつけて読むことである。特に重要なのは、声の4要素=息、ノド、舌、口に加えて「空気」である。読まれる場の空気を動かすことだ。 at 05/12 19:39

WATANABE_tomo / 渡辺知明
渡辺知明・表現よみ独演会第21回太宰治特集=6月3日(日)14:30ニューオータニイン東京(JR山手線大崎駅)「富嶽百景」「猿ケ島」「きりぎりす」「吉野山」太宰の様々な「語り口」をどう読み分けるかが朗読から表現への通路だ(学割1000円)。http://t.co/3xOYNHGO at 05/12 11:55
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2012年05月12日

2012年05月11日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
音声訳は視覚障害者のために無料で行われるものだ。多くの読み手を育てるために最低限の水準が目標だった。朗読も同様のものと受け取られてきた。だが、有料オーディオブックの普及で読みのレベルは上がってきた。次のレベルアップは、同一作品を複数の読み手が読み、そこから選択が可能になる段階だ。 at 05/11 10:21

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2012年05月11日

2012年05月10日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
灘高校の橋本武先生は『銀の匙』の国語授業はスローリーディングなのだと言っている。これまでは本を速く読むことを目標にした国語教育が盛んだった。だが今ゆっくり深く内容を理解して読むことの重要性が注目されている。わたしは究極のスローリーディングについて『朗読の教科書』に書いたつもりだ。 at 05/10 11:45

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』を朗読漫画『花もて語れ』と並べて売ったら売れるだろうというご提案をいただいた。書店の方がたが慌てて仕入れてくださるとありがたい。ただし初版の部数が限られているので、もしかしてそろそろ売り切れという可能性もないではない。わたしが100冊を売り切っているからだ。 at 05/10 11:25

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』の発売から2か月弱すぎてネットで感想が出始めた。「読みやすい。発声・発音の基礎がわかる。歌の発声にも通じる。文の構造がわかる。記号づけが有効だ」などの声が届いている。今はたいていのネット書店で買える。書店にも注文できる。日本朗読検定協会では通信講座が始まる。 at 05/10 11:08

WATANABE_tomo / 渡辺知明
もしも朗読が日常の延長の意識でただ文章を読み上げるようなものでなくなったら、「なんだ朗読か、ただ本を読むだけだろう」と軽んじられることもなくなるだろう。読み手自身がまさに命がけで声を発して、自らの生の表現とするような読みになるはずだ。それは朗読ではなく、表現よみとでも呼ぶべきだ。 at 05/10 00:15

WATANABE_tomo / 渡辺知明
いろいろな朗読を聴いてみても、よそゆきの声ばかりで、心底、読み手自身の内面と結びついた声で読んでいる人はほとんどいない。朗読劇についても同様である。世間で交わされている声を手本にするのではなく、日常とは別次元の声の表現であるにもかかわらず、リアルさを感じさせるような声こそ本物だ。 at 05/10 00:08
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2012年05月10日

2012年05月09日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
お金を払って朗読やオーディオブックを買うときには、必ず試聴をしてから買うべきだ。ただ、作者名や作品名で買っていけない。読み手によってどれだけ作品の表現に差があるか知ってほしい。同じ歌でも歌手によってちがうのと同じだ。だから、試聴をさせずに売るような品物には警戒する必要があるのだ。 at 05/09 23:49

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読で聞きたい作品があったら、まずネットで検索してみるといい。大勢の人たちが朗読を録音して公開している。「お話しPod」では、さまざまな作品を聴きくらべとして複数の読み手の読みをリンクしている。どんな表現でも、いろいろな表現者の表現の比較によって良し悪しが分かるようになるものだ。 at 05/09 23:40

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読は阿波踊りです。「同じアホなら踊らにゃ損」です。『朗読の教科書』を次のサイトで紹介して下さっています。また、わたしのサイトに書いた朗読の録音によるボランティアの方法のページもリンクして下さっています。→青空文庫/朗読・音声化入門ガイド http://t.co/WoYVDxAr at 05/09 22:55

WATANABE_tomo / 渡辺知明
渡辺知明・表現よみ独演会第21回太宰治特集=6月3日(日)14:30ニューオータニイン東京(JR山手線大崎駅)「富嶽百景」「猿ケ島」「きりぎりす」「吉野山」太宰は様ざまな「語り口」をもつ作家だ。どう読み分けるかに朗読から表現への通路がある。http://t.co/3xOYNHGO at 05/09 21:25

WATANABE_tomo / 渡辺知明
詩の朗読では自作自演というものが高く評価される。しかし、書かれた作品は作者から自立したものだ。必ずしも作者自身が自作の最高の理解者であるととは限らない。かえって作品を狭い解釈に押しとどめてしまうことにもなりかねない。どんな文学作品においても、表現者としての読み巧者が求められる。 at 05/09 21:21

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』の内容がAmazonのリンクでも立ち読みができるようになった。まえがき、あとがきの全文、もくじ、参考文献まで一覧できる。たいていの人が本を買うか買うまいか考えるときに見るページがのぞけるわけだ。立ち読みによって判断して買ってもらえるなら尚さららうれしいものだ。 at 05/09 20:16

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の教室を開催している人は、これまで朗読指導の方法に困っていたのではないか。ならば、拙著『朗読の教科書』がある。80年ぶりの総合的な教科書なのである。音声理論はもちろん、文の構造を読むための文法論、文学作品の理解のための「語り手」論、そして、文学作品のタイプ別ジャンル論がある。 at 05/09 20:10

WATANABE_tomo / 渡辺知明
日本に朗読の専門家はいない。すばらしい専門家にもなれる可能性のある人たちで、拙著『朗読の教科書』を読んでもらいたい人が何人かいる。そのリスト――成宮寛貴、別所哲也、貫地谷しほり、段田安則、荻野目慶子、中村梅雀、萩原聖人、寺尾聡(順不同)。http://t.co/YvETTg6h at 05/09 10:08

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の理論を、そもそも文を読むという意味から根本的に考えてみたい。アプローチの方法として、メルロ=ポンティや竹内敏晴の立場が有効である。そのとき、手がかりとなる文法ジャンルが2つある。1つは、文の全体構造を意識するための構造論、2つは、文節の呼応関係の取っ手となる助詞の再検討だ。 at 05/09 09:55
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2012年05月08日

2012年05月07日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
中村佳文『声で思考する国語教育』を読んでいる。朗読について考えるきっかけになる。文学研究において、作品を文字言語として扱う分析の概念と、音声言語として扱う分析の概念との大きな分類が必要だと思う。この筆者は文字言語の扱いを批判して音読を問題にするのだが、まだ文字言語に縛られている。 at 05/07 11:34

WATANABE_tomo / 渡辺知明
筆、万年筆、ワープロ、パソコンのソフトと、書くための道具は進化してきた。同時に文章に向かう態度も変化した。朗読においても、文の間や切れ目を意識するための道具にあたるものがある。それが『朗読の教科書』でとりあげた「記号づけ」である。観念や態度を説かずに実行によって読みが実現される。 at 05/07 11:28

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の表現において、高低アクセントと強弱アクセントとの表現力には大きな違いがある。高低ならば、高いか低いかという2段構えで考えられている。それに対して、強弱ならば、強から弱までの表現の幅は広い。ならば、それによってイントネーションもプロミネンスも連続のものとして表現できるわけだ。 at 05/07 11:22
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2012年05月07日

2012年05月06日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
第21回渡辺知明・表現よみ独演会・太宰治特集=6月3日(日)14:30ニューオータニイン東京(JR山手線大崎駅)「富嶽百景」「猿ケ島」「きりぎりす」「吉野山」。太宰作品の「語り口」の読み分けは朗読から表現への通路になる。学割1000円あり。http://t.co/3xOYNHGO at 05/06 21:53

WATANABE_tomo / 渡辺知明
Twitterの140文字の制限を文章訓練に生かすことはできないか。コピーの訓練にも使える。ソネットは14行の形式の詩である。ならば1行10文字で14行の詩を書くこともできる。俳句が575、短歌が57577、そんな連想から、140字の文字数を割り振りしてみるのもおもしろいだろう。 at 05/06 19:00

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読は文章とよく似ている。読み手を無視して勝手に書いた文章が読み手の関心をひきつけないように、聞き手を無視した勝手な朗読なんてダレが聴いてくれるだろうか。書いている当人が意味を組み立てられない文章が理解されないのと同じく、読んでいる本人が意味を組み立てられない朗読も面白くない。 at 05/06 18:51

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読を最後まで聴いてもらうには、まず「○○作、○○(作品名)」のタイトルで「どんな話か」と思わせることだ。そして、1文を読んだら2文を聞きたくなるように読む。ただこれだけだ。名作文学ならば、書き出しの1文から結びの文まですべてつながっている。読み手はそのつながりを引き出すだけだ。 at 05/06 18:43

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の良し悪しは作品選びで60%決まる。まず、通俗読み物でなく文学作品を選ぶことだ。詩、小説、物語、随筆の順序でテンションは下がる。文学には「語り手」の「語り口」がある。個性を発揮した「語り手」が語るのが文学だ。随筆でも感情のテンションの高いものを選べば文学的な感動は高められる。 at 05/06 18:31

WATANABE_tomo / 渡辺知明
申し訳ありませんが、『朗読の教科書』はお一人お一人で買ってください。一度読んで頭で理解する本ではなく、からだを使って訓練するためのハンドブックです。また、書き込みをするページもあるので図書館で借りた本では学習できないのです。344頁2205円3冊分の厚さでCD付き普及用価格です。 at 05/06 18:28

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読というと「読む」ことばかり考えます。しかし、『朗読の教科書』では「聞く」も考えました。それが「聴いてもらえる朗読」の目標だからです。「聞く」とは「音が耳に入る」だけではありません。言葉を受け入れて意義を認識するところまでつながっています。そして、第1の聞き手は読み手自身です。 at 05/06 18:18

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読をするとき、聞き手に伝えようとすると、ついつい声や発音にこだわって、1文1文の意味を考えるのがおろそかになる。また、聞き手がどう思うかと意識するから上がってしまう。そんなとき、自分が声にする1語1語が呼びかけなのか応答なのか考えるといい。呼びかけは積極的に応答は確信的になる。 at 05/06 18:06

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』で示した間(切れ目)の記号は、次の4つである。(4)区切り、(5)間、(6)切りかえ、(7)ツナギ。(カッコの数字は記号番号である)。これで朗読の間(マ)のすべてが処理できる。要するに、10通りの単純な「記号づけ」で作品の文章と内容の構造を捉えるられるのだ。 at 05/06 12:45

WATANABE_tomo / 渡辺知明
間(マ)は朗読の重要な技術である。朗読上達のためには2種類の間(マ)の区別が必要だ。(1)区切りと(2)切りかえである。どちらも物理的な時間の空きだが、単純な区切りか、それとも先の語句に呼びかけて答えを待つ構えかという違いがある。(2)が自由自在に使えれば緩急自在な読みになる。 at 05/06 12:30

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読という語にはマイナスイメージがある。「書かれたものを読むだけだ。だから創造性がない。つまらない」という考えだ。その場で発する言葉にこそ創造的な価値があるように思うのだろう。だが、朗読のテキストは、セザンヌがモデルにしたリンゴである。創造の度合いが大きければ、それは表現となる。 at 05/06 12:05
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2012年05月06日

2012年05月05日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
「声に出して読むと意味がわかる」と言われる。それが体験的に語られることはあっても、理論的な解説は聞いたことがない。朗読理論の発展のために、声に出して読むという行為そのものを基本から問題にしなければならない。そのアプローチの原理として、メルロ=ポンティの哲学が有効な手がかりになる。 at 05/05 23:37

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』を「まさに実践的な“教科書”!」と評価して下さった方がいます。まず発声法がよかったということをブログに書いています。わたし自身、この発声法で歌がうまくなると話していました。他の人が納得してくださったのはうれしいことです。http://t.co/B2Ai38gw at 05/05 23:16

WATANABE_tomo / 渡辺知明
音読とは、いわば文章を音として読み上げるものだ。だが朗読では、作品の「語り口」、つまり文章でいうなら「文体」まで表現したい。例えば、石川啄木の短歌の一首一首の微妙な違いは「語り口」の違いにあるわけだ。どの短歌も同一によんでしまうなら、それは音訳か音読と言わざるを得ないことになる。 at 05/05 21:32

WATANABE_tomo / 渡辺知明
鈴木康之著『名作コピーに学ぶ読ませる文章の書き方』を読んでいる。同じ著者の『名作コピー読本』も名著であった。どちらも本格的な文章論の本なのだ。様ざまな名作コピーが取りあげてある。そこから聞こえるのは生き生きした「語り手」の声である。朗読するにはまず名文を選べという思いを強くする。 at 05/05 17:08
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2012年05月05日

2012年05月04日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読に上達するためのコツは記号づけだ。作品の意味を組み立てる基本単位は文だ。文字をそのまま声にするよりも、文の構造を捉えて読んで行けば意味がはっきりとつかめる。そのためには、日ごろから文の構造を捉える訓練をすることだ。「記号づけ」の方法は『朗読の教科書』第5章で解説されている。 at 05/04 16:44

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読における作品理解とは、実際に1語1語1文1文を声に出している状態のことである。その声が理解の表現であり、聞き手への伝達となる。ところが、読んだ結果から解釈した内容を声に込めて伝えようとする。そんな読みは下手な演出による下手な演技の読みである。声による作品の表現にはならない。 at 05/04 14:05

WATANABE_tomo / 渡辺知明
音読はリズムを味わうためだけのものではない。リズムに乗って文を読むことが、文の意味に浸るきっかけになる。その区切りが2音3音のリズムだ。1文ごとの意味に浸るために身体発声運動が必要だ。そこを離れた解釈は文の意味を殺す。読みの過程を離れた解釈を後から読みに加えても表現にはならない。 at 05/04 11:59

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』を買うかどうか迷っている人はいませんか。350頁のうち60頁をPDFで公開してます。頭と尻尾の章は全文読めます。また、付録CDも試聴できます。「蜘蛛の糸」「最後の一句」など10通りの「語り口」の作品の冒頭が聴けます。http://t.co/bSvinC4p at 05/04 10:52

WATANABE_tomo / 渡辺知明
公式の場での人々の話しぶりや語り方が朗読の技術にも反映する。アクセントの平板化、音楽のメロディーの単調化、マスコミのアナウンスの逆イントネーション化、これらは一連のものである。それは物語る自信のなさを表わす。夢や希望は、頭からテンションの高いイントネーションで語られるものである。 at 05/04 09:38
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2012年05月03日

2012年05月02日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の表現性の本質は、ことばへの力の入れ方の差だ。その音声的な基礎は強弱アクセントにある。文の流れにおいてアクセントは均等ではない。文の意味を生むために強弱の差が生じる。それによってイントネーションが表現され、プロミネンスが表現される。この3つは連続的な段階の音の強弱変化である。 at 05/02 15:02

WATANABE_tomo / 渡辺知明
その人の朗読を聞けば文の意味の理解がどの程度なのか分かると言う。その秘密は強弱アクセントのつけ方にある。アクセントが語句の意味を定めるのは基本だ。さらに2音3音の区切りの強弱アクセントのどこを強めるかによって微妙なプロミネンスが生じる。それが文の意味を明確にすると共に表現となる。 at 05/02 14:46

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読するべき作品選択の決め手は作品の文章が大前提である。ことばの一言ひとことが聞き手の耳に届いていくのだから、一語一句にスキがなく、しかもイメージが積み重ねるようにつながった文であってほしい。特に、翻訳作品の場合、訳の良し悪しが作品をまるで別物にしてしまう。朗読は文章批評なのだ。 at 05/02 14:11
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2012年05月02日

2012年05月01日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読もひとつのパフォーマンスである。特別の場合以外には前おきの説明は不要だ。スタートして1秒で作家名、1区切りで作品名、一息で書き出しに入ってほしい。ネットの生放送であるならば、だらだらと説明をするような時間はなくして、いつ聴き始めても朗読が聴けるような連続的な放送を期待したい。 at 05/01 23:57

WATANABE_tomo / 渡辺知明
驚くべきことだが、テレビやラジオなどのアナウンス、ナレーション、俳優の台詞などの9割が日本語のイントネーションの原則から外れている。情報伝達のテンションの低さ、熱意に欠ける理由はそこにある。そんな「語り」が朗読にも引き継がれているので、朗読も表現性の低いものになっているのである。 at 05/01 23:37

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の表現のコツとして「語るように読んだらいい」という考え方がある。ならば、代表的な日本の「語り」である落語を朗読してみることがいい練習になる。本物の落語とは比較できないが、わたしも「芝浜」「道具屋」「転宅」などの表現よみを公開している。http://t.co/I2mhWyxt at 05/01 23:30

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の指導において、アクセントの誤りは簡単に指摘される。だが、イントネーションの誤りはほとんど意識されない。というのは、アクセントは辞典で調べられるが、イントネーションについては、その原理すら問題にされないからだ。だが、ことばの伝達においてはアクセント以上に重要なのものなのだ。 at 05/01 23:24

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』がAmazonの「国語」部門のベストセラーの50位にランクされた。この本が単に朗読に限らず日本語の音声言語の教育についても有効だということが次第に理解されてきたからだろう。さらに、外国人のための日本語教育にも有効だという理解にもつながってほしいと思っている。 at 05/01 23:11

WATANABE_tomo / 渡辺知明
日本朗読検定協会の認定図書である拙著『朗読の教科書』をテキストにしたワークショップを各地で開催いたします。まずは東京周辺でご希望の方がいたらお知らせください。朗読理論の普及のためですから高額の講師謝礼など期待していません。日程や方法などの内容は、お互いの相談で決めていきましょう。 at 05/01 15:11
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2012年05月01日

2012年04月30日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の特徴は小説の読み方に代表される。文章の読みあげでもなく演劇の台詞立てでもない声立てだ。小説の文章における対話構造―「語り手」と「人物」との入り組んだ構造を読み分けるのだ。特に人物の心内表現―「内言」に相当する部分を作品から切り分けて表現するために記号づけによる分析が必要だ。 at 04/30 12:27
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2012年04月30日

2012年04月29日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
渡辺知明・表現よみ独演会第21回太宰治特集=6月3日(日)14:30ニューオータニイン東京(JR山手線大崎駅)「富嶽百景」「猿ケ島」「きりぎりす」「吉野山」太宰は様ざまな「語り口」をもつ作家だ。どう読み分けるかに朗読から表現への通路がある。http://t.co/3xOYNHGO at 04/29 19:33

WATANABE_tomo / 渡辺知明
文学研究の視点論は書かれた作品を分析するためのものである。朗読においては読み手が視点を担っているのだ。外部の視点ではなく、内部に入り込んだ位置から語ることばが文学表現の本質だといえる。作品解釈の視点を朗読の技法にどのように応用するのか。そこで身体運動としての声の表現が問題になる。 at 04/29 19:23

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読にとっても文学作品の視点論は参考になる。これまでの朗読理論では視点や語り手が問題にされなかった。というのも、朗読が文学を読むのではなく文章を読むという考えだったからである。だから、作品の表現論も研究されなかった。次の問題は、視点の変化を読み手の声でどのように実現するかである。 at 04/29 19:17
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2012年04月29日

2012年04月28日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読は各個人の作品の理解の表現である。ならば思い切っていろいろな表現ができるはずだ。だがデタラメな表現というものはありえない。ならば表現の手がかりは何か。作品の意味を掴むことである。読み手が意味が分からずに読んだら聞き手に伝わるわけがない。朗読はまず自分の理解のためのものだ。 at 04/28 22:38

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の効果として、原作以上の表現ができるという可能性がある。文字で黙読したとき、こんな内容かと思っても、朗読で意外な感じがすることがある。それは読み手の表現が作品にプラスしたものがあるからだ、この効果はいい作品ならばなおさらである。いい作品のいい読みが一番いい効果を生み出すのだ。 at 04/28 21:49

WATANABE_tomo / 渡辺知明
「朗読少女」の乙葉しおりさんは、なんと丁度1年前に図書館で、『朗読の教科書』を入手するという予言をしていました。下記の記事に書いてあるので驚きました。わたしが贈呈したのは、今年の3月の末でした。もう今ごろは読んで勉強していると思います。http://t.co/MLTZPQ42 at 04/28 11:48

WATANABE_tomo / 渡辺知明
最近、吉川トリコの「芳野さん」がラジオで朗読されたそうだ。吉川トリコ「しゃぼん」は名作だ。わたしも「声でよむ名作本」でとりあげている。最新作『少女病』もすぐれている。簡潔な文章で書かれているのであるが、文章の内容に奥行きが感じられるのだ。http://t.co/P6h93UFb at 04/28 11:12

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読に上達するコツは、目で見ただけではすぐに理解できないような文で書かれた作品を選んで読むことだ。最近の文学的な読み物は目で流せば意味が読み取れるような文体だ。だが、文学史に残っているような近代文学の作品は、そう簡単に行かない。そこで、声に出しながら理解することの意義があるのだ。 at 04/28 10:15
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2012年04月28日

2012年04月27日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読したい作品を選択するとき、第一の条件が文章のよさである。翻訳の文章については近ごろ問題になっているが、日本語の作家の文章の善し悪しについては論ずる人が少ない。作品の内容にこだわるからだというのだが、実は、文章をそのものが作品の表現であるという観点が朗読表現には必要なのである。 at 04/27 11:48

WATANABE_tomo / 渡辺知明
わたしが朗読のオーディオブックに録音しておきたい作品がいくつかある。その多くが子どもたちに聞かせたい笑いの文学だ。川崎大治『日本のとんち話』、カレル・チャペック『ダーシェンカ』、ドーデー『陽気なタルタラン』、カレル・チャペック『山椒魚戦争』などだ。どれも商売にはならないだろう。 at 04/27 11:43

WATANABE_tomo / 渡辺知明
日本の文化において朗読のジャンルが芸術となるか。残念なことに表現としての専門性が自覚されていない。今のところアナウンサーやナレーターや俳優などの片手間のパフォーマンスでしかない。日本ではその理論も実践的な訓練法も不十分である。『朗読の教科書』を自分でも読み直すべきだと考えている。 at 04/27 11:07

WATANABE_tomo / 渡辺知明
●第21回渡辺知明表現よみ独演会=6月3日(日)ニューオータニイン東京(JR山手線大崎駅前)【太宰治の世界】「富嶽百景」「猿ケ島」「きりぎりす(ゲスト出演・馬場精子)」「吉野山」。「語り口」のヴァリエーションは朗読表現の最大の目標です。http://t.co/3xOYNHGO at 04/27 10:48

WATANABE_tomo / 渡辺知明
日本の各地で朗読のライブ活動をしている人がいる。特別な会場はいらない。小さな喫茶店でもいいし、小さな書店でもいい。古い文学作品を聞く場としたら文学館もふさわしい。音響設備も照明設備もいらない。声の表現だけで楽しめるのが朗読のいいところだ。喫茶店などの営業の助けになるかもしれない。 at 04/27 10:35
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2012年04月27日

2012年04月26日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
演劇では、台詞のすべてを観客に伝える義務感がある。しかし、小説の文章構造の特徴は内言の表現にある。小説は黙読で個人的に享受され、内言の言葉が個人的に読み取られた。だから、その味わいを朗読として表現する場合、現場の聞き手に伝えるより、まず読み手自らが作品の内面に入る努力が必要だ。 at 04/26 16:16

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の本質はテキストと読み手との一体化である。読み手は作品の「語り手」と一体化することで内容に入れる。しかし、アナウンスやナレーションのようなテキストの読み上げにおいては、テキストと読み手との間に微妙な隔たりが生じてしまう。その印象が聞き手には読み手の気取った声として響いてくる。 at 04/26 15:55

WATANABE_tomo / 渡辺知明
第21回渡辺知明表現よみ独演会=豊かな「語り口」を持つ太宰治作品から4作品をゲストとともに読みます。「富嶽百景」「猿ケ島」「きりぎりす」「吉野山」。「語り口」の表現は朗読から表現性を高めるための課題です。東京周辺の方はぜひお出かけください。http://t.co/3xOYNHGO at 04/26 12:20

WATANABE_tomo / 渡辺知明
人の読みを反面教師として学ぶべきことはたくさんある。朗読で不可欠の要素は、作品と向き合うとき、まるで初めて読む文章のようなつもりで意識を集中させることだ。うっかりすると目に慣れた文面に引きずられて軽い口調で流している。作品の理解を生まない声になったとき、読みは機械的な音読になる。 at 04/26 12:14

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読という概念をその表現性のレベルから3段階に分けてみると、読み手の表現力の度合いが測れるだろう。その読みが、音読→朗読→表現よみのどれに当たるのか。さらに、この3段階をより広い概念の「音読」としてくくることができる。小中学校で使われる概念とはちがうので注意する必要があるだろう。 at 04/26 11:27

WATANABE_tomo / 渡辺知明
「裁判官が判決文を朗読する」というような言い方をマスコミがするから「朗読」が単なる音読であるかのように思われてしまうのだ。これまで、判決文を朗読として表現するように読んだ裁判官というものはおそらくいないだろう。逆に、朗読するべきを作品を音読してしまう読み方がたくさん行われている。 at 04/26 11:21

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読というとマイクを使うのが当然だと思うらしい。だが、マイクに乗せようとするとアナウンスやナレーション風の声になる。口先の技術を意識してしまう。大勢に聴かせるのでなければナマの声がいい。心身一体化したナマの声がその場の空気を揺るがす。それはカラダ全体を使って調整された声だからだ。 at 04/26 09:47

WATANABE_tomo / 渡辺知明
渡辺知明・表現よみ独演会第21回太宰治特集=6月3日(日)14:30ニューオータニイン東京(JR山手線大崎駅)「富嶽百景」「猿ケ島」「きりぎりす」(ゲスト)「吉野山(新釈諸国噺)」太宰は様ざまな「語り口」の作品をもつ作家だ。どう読み分けるかに朗読から表現への通路がある。予約受付中 at 04/26 09:02
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2012年04月26日

2012年04月25日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読は翻訳と似ている。外国語を日本語に変換するとき、自らの日本語理解が試される。同様に朗読でも、文字で理解していた文学作品を自らの独自の音声表現に変換しなければならない。そのとき、自らの音声言語の能力が問われる。『朗読の教科書』の目標は個々人の音声言語能力を向上させることにある。 at 04/25 12:53

WATANABE_tomo / 渡辺知明
子犬の成長を描いたカレル・チャペック『ダーシェンカ』の飯島周訳は名訳である。声に出して読まなければもったいない作品である。それに対して、目で見るだけで意味が受け取れるような翻訳はおもしろくない。文学作品の魅力は文体にある。「語り口」まで声に出して味わえる作品こそすぐれているのだ。 at 04/25 12:44

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』は文部科学省の「学習指導要領」に準拠している。音声言語の指導は言語教育の半分を占めている。学校教育での音声言語の指導については様ざまな課題があるが、その具体的な指導方法まで実現した参考書というのは意外に少ないものである。http://t.co/Bi3S1Wpo at 04/25 12:33

WATANABE_tomo / 渡辺知明
渡辺知明著『朗読の教科書』(CD付350頁)もくじ=第1章 朗読とはなにか、第2章 姿勢・発声・発音、第3章 リズムある朗読の仕方、第4章 朗読のための文法入門、第5章 記号づけの方法とは、第6章 文学作品の表現方法、第7章 文学作品の文体と「語り口」―こんな総合的な本はまれだ。 at 04/25 12:22

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読をするときにまず心がけることは既成の読み方にこだわらないことだ。そのかわり、意外な角度からことばの内容に迫ればいい。文法的な文の構造分析、文学作品の「語り」の構造への関心などが、これまでにない朗読の表現を可能にしてくれる。そんな方法と技術が書かれているのが『朗読の教科書』だ。 at 04/25 00:01
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2012年04月25日

2012年04月24日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
そろそろ人の朗読を聴くのはやめて、自分で読んで楽しんでみませんか。「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら、踊らにゃそん、そん」というのは、朗読についてもあてはまる。では、どうやって読もうかというときには、『朗読の教科書』を開くことから始めて欲しい。これまでなかった朗読入門の本である。 at 04/24 23:50

WATANABE_tomo / 渡辺知明
その朗読の理論が本質をとらえたものであるならば、ことばに関するさまざまな分野に有効なものになる。読み聞かせ、話し方、演説の仕方、説得の仕方、歌い方、作曲の仕方などである。だが、何よりもまず、学習者の日常の話し方そのものが美しくなるという効果は、日本の言語文化を向上させるだろう。 at 04/24 23:49

WATANABE_tomo / 渡辺知明
表現よみオーの会が秋田県仙北市で宮沢賢治「猫の事務所」の朗読劇ではないドラマ・リーディングの公演をしたのは、2005年のことだ。これからも各地からお呼びがあれば出かけて行くつもりだ。シェイクスピアのドラマ・リーディングの台本もいくつかある。http://t.co/8m0Iojm8 at 04/24 23:21

WATANABE_tomo / 渡辺知明
わたしたち表現よみオーの会が秋田県仙北市で、宮沢賢治「猫の事務所」のドラマ・リーディングの公演をしたのは、2005年のことだ。これからも各地からお呼びがあれば出かけて行くつもりだ。シェイクスピアのドラマ・リーディングの台本もいくつかある。http://t.co/8m0Iojm8 at 04/24 23:19

WATANABE_tomo / 渡辺知明
人の朗読を聴くばかりでなく、いい作品を見つけたら自分で朗読してみたらいい。ゆっくり声に出して読んでみると、作品の意味がよくわかる。1つのコツは、2音3音ごとにことばを区切りながら、自ら意味を確認することだ。そこからリズムが生まれる。そのコツは拙著『朗読の教科書』に書かれている。 at 04/24 23:11
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2012年04月24日

2012年04月23日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
国語教育の中で実践の工夫が難しいのが音声言語の教育である。文字に書かれた文章の意味を掴むには、ことばが声となって聞こえてこなければならない。テレビの字幕は聴く力の養成にマイナスに作用する。『朗読の教科書』では聞くという行為を重視する。読みは聞くを意識したとき最も有効な表現となる。 at 04/23 21:49

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』が3月に刊行されました。朗読入門から文学作品の表現に至る筋道を実践的に学べる本です。理論の基礎はコラムとして30編程とりあげています。まずは読んでみて下さい。344ページのうち60ページを立ち読みできるよう公開してます。http://t.co/bSvinC4p at 04/23 12:03

WATANABE_tomo / 渡辺知明
学校教育の分野において、かつては朗読を中心に教育書が書かれていた。近ごろは、音読が中心になっているようだ。2つの意味がある。1つは、朗読の教育のむずかしさの自覚、もう1つは、音声言語の原点にもどる必要性の自覚であろう。この2つの点を見事にカバーしているのが『朗読の教科書』である。 at 04/23 11:59

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の上達のために、1つの文を10回繰り返して読んでも飽きない方法があればいい。それどころか、読み返すたびに内容に深まりが感じられ、感情がより高まるような読み方ならばなおよい。いわゆる「遅読」の方法だ。しかも文のレベルから実行できるものだ。『朗読の教科書』の基礎にはそれがある。 at 04/23 11:52

WATANABE_tomo / 渡辺知明
子どもたちに本を読め読めとすすめている。また、音読すれば読書能力が上がるとも言われている。だが、そもそも文をどう読むかという方法が教育されているのだろうか。ただ数多く音読するだけではすぐに飽きがくる。拙著『朗読の教科書』には本の熟読法ばかりか文の熟読の方法が基本から書かれている。 at 04/23 11:39
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