WATANABE_tomo / 渡辺知明
心に傷を受けたことが動機で声優に憧れたという若者の話を聞いた。漫画『花もて語れ』の主人公もそうだった。では、朗読にはどのような効果が期待できるのか。「はいる→なりきる→のりうつる」というカタルシスの効果だろう。心と体と声との一体化した読みこそ、心身のリフレッシュにつながるはずだ。 at 06/04 21:40
心に傷を受けたことが動機で声優に憧れたという若者の話を聞いた。漫画『花もて語れ』の主人公もそうだった。では、朗読にはどのような効果が期待できるのか。「はいる→なりきる→のりうつる」というカタルシスの効果だろう。心と体と声との一体化した読みこそ、心身のリフレッシュにつながるはずだ。 at 06/04 21:40
WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読においてアクセントは文のつながりと流れに応じて次つぎに変化しながら動いていくものだ。だから、単語単位で調べたアクセントは文中に入ると生きて働かないのだ。生きたアクセントとは、文の流れでイントネーションにかわり、ときにはプロミネンスを生みだす。それが『朗読の教科書』の原理だ。 at 06/04 11:40
朗読においてアクセントは文のつながりと流れに応じて次つぎに変化しながら動いていくものだ。だから、単語単位で調べたアクセントは文中に入ると生きて働かないのだ。生きたアクセントとは、文の流れでイントネーションにかわり、ときにはプロミネンスを生みだす。それが『朗読の教科書』の原理だ。 at 06/04 11:40
WATANABE_tomo / 渡辺知明
果たして知識の伝達というものはあるか。言葉で発した情報が受け手にどう受け止められるか。個別の意識内容は確認のしようがない。仕事ならば、命じた行為が実行されることだ。朗読ではどうか、自らの読みの過程そのものが作品の理解になるのだ。だから読み聞かせよりも聞き手と共に読む意義は大きい。 at 06/04 11:33
果たして知識の伝達というものはあるか。言葉で発した情報が受け手にどう受け止められるか。個別の意識内容は確認のしようがない。仕事ならば、命じた行為が実行されることだ。朗読ではどうか、自らの読みの過程そのものが作品の理解になるのだ。だから読み聞かせよりも聞き手と共に読む意義は大きい。 at 06/04 11:33
WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読で台本を手に持つ場合、文字を読みすすむ自分の意識を記述することはできる。そこから、文を読むことの意味、作品を声で創造することの基本が捉えられる。だが「語り」として暗記した文章を読みあげる人の意識はどうなのか知りたい。メルロ=ポンティならばきっと詳しく記述してくれることだろう。 at 06/04 11:30
朗読で台本を手に持つ場合、文字を読みすすむ自分の意識を記述することはできる。そこから、文を読むことの意味、作品を声で創造することの基本が捉えられる。だが「語り」として暗記した文章を読みあげる人の意識はどうなのか知りたい。メルロ=ポンティならばきっと詳しく記述してくれることだろう。 at 06/04 11:30
WATANABE_tomo / 渡辺知明
プチ・プラージュで『朗読の教科書』の第1回講習会を開催する。姿勢、発声・発音、アクセント、イントネーション、プロミネンスの基礎から、文学作品の文章の特徴を生かした表現法の実習をする予定だ。だが何よりも参加者の希望に応じた実践的指導をしたい。http://t.co/8rSoGehC at 06/04 10:58
プチ・プラージュで『朗読の教科書』の第1回講習会を開催する。姿勢、発声・発音、アクセント、イントネーション、プロミネンスの基礎から、文学作品の文章の特徴を生かした表現法の実習をする予定だ。だが何よりも参加者の希望に応じた実践的指導をしたい。http://t.co/8rSoGehC at 06/04 10:58
WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』は、「話し・聞き、読み・書き」というすべてのコトバ能力を高めるためのコトバ理論に基づく著述だ。だから、文法入門もあるし、文の組み立て方を分析する記号づけという技術についても書かれている。だが、朗読というアプローチから音声言語能力を高めることが最大目標だった。 at 06/04 10:56
拙著『朗読の教科書』は、「話し・聞き、読み・書き」というすべてのコトバ能力を高めるためのコトバ理論に基づく著述だ。だから、文法入門もあるし、文の組み立て方を分析する記号づけという技術についても書かれている。だが、朗読というアプローチから音声言語能力を高めることが最大目標だった。 at 06/04 10:56
WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読は「同じ阿呆なら踊らにゃそんそん」です。というより、理解というものは外から注入される観念ではなく、自ら作品を声に出して読むことによって生じるものです。ただし、その基本となる教育が必要です。野口三千三『原初生命体としての人間』には、教育論から朗読論、人生論まで書かれています。 at 06/04 10:48
朗読は「同じ阿呆なら踊らにゃそんそん」です。というより、理解というものは外から注入される観念ではなく、自ら作品を声に出して読むことによって生じるものです。ただし、その基本となる教育が必要です。野口三千三『原初生命体としての人間』には、教育論から朗読論、人生論まで書かれています。 at 06/04 10:48
WATANABE_tomo / 渡辺知明
学校での朝の読書はいまだ黙読で行われているようだ。音読で朗読の練習になる方法がある。発音をよくしてなおかつ理解を深める方法だ。名付けて「ノド切り音読」である。口元を引きしめて笑窪の口をして両脇の歯をしっかり噛み締めてノドの奥で読むのだ。大きな声は出ないからクラス全員が音読できる。 at 06/04 09:04
学校での朝の読書はいまだ黙読で行われているようだ。音読で朗読の練習になる方法がある。発音をよくしてなおかつ理解を深める方法だ。名付けて「ノド切り音読」である。口元を引きしめて笑窪の口をして両脇の歯をしっかり噛み締めてノドの奥で読むのだ。大きな声は出ないからクラス全員が音読できる。 at 06/04 09:04
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朗読で発音の明瞭さは「滑舌」「歯切れ」と言われる。しかし、個々の音(オン)の発音を良くするのはノドなのである。しっかり口を閉じて両脇の歯を噛み締めて笑窪が出るように口もとを引きよせる。その状態のノドで一音ずつアイウエオと発音するのだ。この練習をあえて言うなら「ノド切れ」といえる。 at 06/04 08:59
朗読で発音の明瞭さは「滑舌」「歯切れ」と言われる。しかし、個々の音(オン)の発音を良くするのはノドなのである。しっかり口を閉じて両脇の歯を噛み締めて笑窪が出るように口もとを引きよせる。その状態のノドで一音ずつアイウエオと発音するのだ。この練習をあえて言うなら「ノド切れ」といえる。 at 06/04 08:59
WATANABE_tomo / 渡辺知明
6月3日(土)独演会の演目、太宰治作品「富嶽百景」「猿ケ島」「吉野山」と3つ並べると共通の話題に「山」がある。直感的に選んだ演目に共通性があるのがおもしろい。更にゲスト・馬場精子さんの朗読した「きりぎりす」と「富嶽百景」の見合い場面がつながる。「猿ケ島」と「吉野山」も対比できる。 at 06/04 08:17
6月3日(土)独演会の演目、太宰治作品「富嶽百景」「猿ケ島」「吉野山」と3つ並べると共通の話題に「山」がある。直感的に選んだ演目に共通性があるのがおもしろい。更にゲスト・馬場精子さんの朗読した「きりぎりす」と「富嶽百景」の見合い場面がつながる。「猿ケ島」と「吉野山」も対比できる。 at 06/04 08:17