2012年06月27日

2012年06月26日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』の構成は、第1章は朗読の概念、第2章で発声・発音、第3章で単語ではない文のアクセント、第4章でイントネーション、第5章が文章の構造論である。ここまでは現行の概念でいう音読のレベルだ。文学作品の表現が問題になるのは、第6章の文学表現法、第7章「語り口」論である。 at 06/26 23:53

WATANABE_tomo / 渡辺知明
NHKテレビBSで『転校生』を見た。少年と少女とが入れ替わったらという設定だ。「2007お話しPod&ラジオデイズ朗読賞」の最優秀賞作品(「おれがあいつであいつがおれで」)を思い出した。たしか朗読でも、原作のおもしろさを生かす読みだった。http://t.co/CJlbNc6G at 06/26 23:31
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2012年06月25日

2012年06月24日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
書き手自身による作品の朗読には歴史の記録としての価値だ。また、書き手だから自らの作品について十分に理解しているということも言えない。書かれた作品はいったん作者を離れたものだ。それを読むのは読者である。いわば、読者がテキストと向きあって声によって読み解く作業が本来の朗読なのである。 at 06/24 08:30

WATANABE_tomo / 渡辺知明
文学作品を表現する読みには「語り口」を意識した読みが必要だ。それが朗読から表現よみへの発展のカギである。例えば梶井基次郎「闇の絵巻」は幾つかの「語り口」の組み合わせで書かれている。その読みに、鴻上尚史の「3つの輪」の原理が応用できるだろう。http://t.co/6G0pIU68 at 06/24 08:26

WATANABE_tomo / 渡辺知明
野口三千三の「体操」理論では、無理をしないという基本原則がある。朗読においても母音の発音練習で無理をしないのがよい。「アエイウエオアオ」よりも、「イエアオウ」の母音練習がよい。鼻から息を抜いてゆっくりたっぷり落ち着いて発音すると柔らかい猫の鳴き声になる。猫は無理して鳴かないのだ。 at 06/24 08:19

WATANABE_tomo / 渡辺知明
FMラジオで多胡淳さんの楽器の音真似を聞いた。人間の声の豊かさというものを考えた。拙著『朗読の教科書』では地声とウラ声ばかりか、ヒツジの声、イヌの声、カラスの声、ネコの声といった発声練習がある。朗読にはあらゆる声の表現の可能性がある。一と色の声で機械的に読むのではおもしろくない。 at 06/24 08:11

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読での2音3音区切りと強弱アクセントの原理が、日本語の話しコトバばかりではなく、音楽のコトバのリズムやメロディーと地続きになっていくようだ。そもそも、言語と音楽とは、その起源において祝祭における舞踏から分かれたというS.K.ランガーの説もあるのだから当然のことなのかもしれない。 at 06/24 08:07

WATANABE_tomo / 渡辺知明
いまはむかしたけとりのおきなといふものありけり――古典のアクセントでは、2音3音区切りも、強弱アクセントも明確になる。「イまは-むかシ-たケ-とりノ-オき-なト-いフ-もノ-あリ-ケり」。実践的な課題としては、沈み込んで腰で止める発声ができるかどうかだ。参照『朗読の教科書』52頁 at 06/24 07:56

WATANABE_tomo / 渡辺知明
「おすしかいません」を2音3音区切りの強弱アクセントの表記で区別する。2音3音のどちらでも後ろアクセントは沈む音になる。「オス鹿居ません」おス-しカ-いマ-セん。「雄しか居ません」おス(高)-しカ-いマ-セん。「お寿司買いません」おスし-かいマ-セん。参照『朗読の教科書』112頁 at 06/24 07:49
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2012年06月24日

2012年06月23日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読のテキストについて、下から3つの段階で構造が把握できる。それによって、文学作品を総合的に読むことができる。(1)文については、文法を原理とした文構造、(2)文章については、文と文との論理的なつながりをとらえる文章構造、(3)文学作品としての「語り手」と人物との対話構造である。 at 06/23 07:33

WATANABE_tomo / 渡辺知明
日本コトバの会で、6月23日(土)午後2時から4時30分まで拙著『朗読の教科書』の連続講義第4回を開催する。今回は第2章後半の姿勢と発声についてとりあげる。会員以外も資料代500円で参加可能。実際の方法を体験してもらう(テキスト持参のこと)http://t.co/EiBsvbGI at 06/23 01:00
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2012年06月23日

2012年06月22日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
大衆読み物である現代文学の作品の朗読会ならば、読み手の人気などで聞き手が集まるものだ。しかし、近代文学や古典などの歴史的な文学作品の場合には、聞き手にある程度の心構えが必要だ。各地の文学館や美術館などはよい会場になる。また図書館も子ども向けの読み聞かせばかりに限定する必要はない。 at 06/22 11:31

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読ではからだと声と調子とは一体だ。目の前の聞き手に伝えようとすると上体が伸び上がる。体が浮いて声が上ずる。アクセントは高低アクセントになる。そして完璧な高低アクセントを表現しようとすると男でもウラ声を必要とする。その結果、アナウンスあるいはナレーションのような調子が生まれる。 at 06/22 11:14

WATANABE_tomo / 渡辺知明
わタ-しガ-イま-たメ-しテ-いル-のハ-におン-さン-おン-クぎ-りノ-あク-せんト-ヒョう-きガ-こド-モた-ちノ-がッ-こうノ-おン-せイ-げんゴ-シど-うニ-つカ-えルか-ドう-かト-いウ-こト-でス。この表記ならば2音3音の区切りとアクセントとの2つを同時に表示できる。 at 06/22 09:19

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読をするとき、聞き手が目の前にいると安心してしまい、ことばの表現力が低下する。物理的に声を伝えることを意識するからだ。聞き手に声を伝える意識ではなく、その場にはいない聞き手を呼び出すような声の力強さが表現となる。物理的な声の大きさではない。声に解消されない心の強さの表現である。 at 06/22 09:09

WATANABE_tomo / 渡辺知明
「雨の降る日は天気が悪い」のアクセント表記は朗読のためばかりでない。「アめの-フる-ひハ-テん-きガ-わルい」から視覚的にもメロディーが見えてくる。2音3音のアクセント原理(『朗読の教科書』112頁)により、カタカナ表記の音から音へと山が作られる。それが自然なメロディーになる。 at 06/22 08:45

WATANABE_tomo / 渡辺知明
「雨の降る日は天気が悪い」を2音3音区切りの表記で書いてみる。カタカナはアクセントのある音。「アめの-フる-ひハ-テん-きガ-わルい」。全て頭高にすると英語風のアクセントになる。「アめの-フる-ヒは-テん-キが-ワるい」。この表記のアクセント練習を実行すると朗読のいい訓練になる。 at 06/22 08:40

WATANABE_tomo / 渡辺知明
せっかく朗読をするためにアクセントを学ぶのだから、外国語との乗り入れが可能になるような学び方をしたい。『朗読の教科書』のアクセント論は高低と強弱との併用によるアクセント原理である。日本語アクセントは日本語に限定されるものではなく、外国語のアクセントとも共通する要素が含まれている。 at 06/22 08:33

WATANABE_tomo / 渡辺知明
アクセント辞典の表記は高低を規準に書かれている。しかも、文から切り離した単語についてのものだ。だから、単語を文に組み込んだときのアクセントに間違いが多い。だが、『朗読の教科書』の2音3音区切りのアクセント原理を応用すると文そのままのかたちでアクセントを捉えて表記することができる。 at 06/22 08:27

WATANABE_tomo / 渡辺知明
「乳ガンは男性にもまれながら発生します」の二た通りの読み方を『朗読の教科書』112頁の2音3音区切りアクセントで表示する。読めるかな。(1)ニュう/がんハ/だン/せイ/ニも/まレ/ナがら/はッ/せイ/しマす。(2)ニュう/がんハ/だン/せいニ/もまレ/ナがら/はッ/せイ/しマす。 at 06/22 00:21
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2012年06月22日

2012年06月21日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読で取り上げられる詩は、病気のものであったり、辛い悲しいものや暗いものばかりだという人がいる。なるほど確かにそういう傾向はある。しかし、中にはユーモアにあふれて元気の出るような詩もある。私の好きな小熊秀雄の詩などはもっと読まれてほしい。http://t.co/qtbcpPJ5 at 06/21 07:19

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』の階層的なリズム論の原理――(1)2音3音区切りによる強弱のリズム、(2)文節を単位にしたフレーズでの目玉アクセント、(3)文の要素同士の強弱アクセントの変化によるイントネーション、(4)文の意味の表現ではウラ声の強アクセントによるプロミネンスを必要とする。 at 06/21 07:05
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2012年06月21日

2012年06月20日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
日本コトバの会で、6月23日(土)午後2時から4時30分まで拙著『朗読の教科書』の連続講義第4回を開催する。今回は第2章後半の姿勢と発声についてとりあげる。会員以外も資料代500円で参加可能。実際の方法を体験してもらう(テキスト持参のこと)http://t.co/EiBsvbGI at 06/20 08:46

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』には声と言葉を使う人すべてに役立つ実践的な技術が盛り込まれている。マイクのためでなく日常生活に生きる発声法、深い呼吸を導いて声と心とを一体化する発声法、2音3音のリズムで説得力を生む話し方、文の意味を把握する文の分析法、文章を読み解く記号づけの方法などである。 at 06/20 08:17
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2012年06月20日

2012年06月19日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読理論の探求は、現在行われている様ざまな朗読の性質の識別と分類から始まるだろう。ルーズな朗読概念に含まれる実際の読みを聞き分ける分別原理となるのが朗読理論の目標となる。朗読の理想である表現としての朗読を外せば、音声訳、アナウンス朗読、ナレーション朗読、舞台朗読などになるだろう。 at 06/19 23:24

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の作品を選ぶときには作品の文体の密度が問題になる。密度は重さにつながる。重い作品を読めば読み手にエネルギーを与えてくれる。軽い作品は読み手がエネルギーを注入しなければ立ち上がってくれない。だから、自らの成長のためには、重い作品を選んでたくさんのエネルギーを吸収することである。 at 06/19 20:33

WATANABE_tomo / 渡辺知明
『朗読の教科書』では学習指導要領にならって朗読を3段階に分けた。(1)音読、(2)朗読、(3)表現よみだ。だが、(1)は声に出す読み全般を意味する。(2)は本来、表現としての意味を持っていたが、現在、単なる音読に格下げされているので(3)を加えた。(3)こそ本来の「朗読」なのだ。 at 06/19 00:33
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2012年06月19日

2012年06月18日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読というと、「腹式呼吸」といわれる。朗読は呼吸ではない。発声である。だから、「腹式発声」というべきだ。また、朗読のために呼吸のトレーニングをしている人がいる。しかし、わたしは面倒だ。呼息は声で、吸息はからだの伸び上がりで、すればいい。しっかり息を吐けば、息は十分にはいってくる。 at 06/18 11:53

WATANABE_tomo / 渡辺知明
文学文の文章と解釈との間には観念的な飛躍がある。その間をつなぐのが音声表現である。拙著『朗読の教科書』の記号づけは文章をそのままの構造でとらえる方法である。それを足場にして音声化することで文学の体験的な理解が成り立つ。特にカッコの記号は人物の意識を内言としてとらえるものである。 at 06/18 11:47

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読をする人たちに、恥ずかしがりが多いようだ。声はボソボソ、まるで自分が読むのが申し訳ないので、お詫びをしているようだ。たしかに作品は人のものだ。それならば、「語り手」という身代わりを立てて責任を押し付けたらいい。そのとき自分は消えられる。http://t.co/YYhS75q6 at 06/18 11:33

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読には、声によって多重の人格表現を楽しめるということがある。表現よみのスローガン「はいる→なりきる→のりうつる」なのである。「語り口」とは文学作品のさまざまな人格表現である。それを自らの声とからだの動きによって非反省的意識で楽しむのである。じつはそれが本来の文学の味わいなのだ。 at 06/18 11:27

WATANABE_tomo / 渡辺知明
第4回青空文庫・朗読の輪コンテストでは、録音審査を経た30名の出演者が登場する。聴くのが楽しみである。コンテストは相対評価だが、評価の仕方で問題になるのは、基礎的な技術と文学的な表現性とのバランスの問題である。それは、フィギュアスケートの技術点と芸術点とのバランスのようなものだ。 at 06/18 11:23

WATANABE_tomo / 渡辺知明
力のないボソボソつぶやく朗読から脱するための第一歩はマイクを使わないことだ。部屋にもよるが人数で言うなら200人くらいまではナマの声で聞こえる発声が必要だ。単なる大声ではなく、近くの人はうるさくなく、いちばん遠くの人にまで伝わるようなコントロールされた粘りのある声が目標である。 at 06/18 10:36

WATANABE_tomo / 渡辺知明
日本コトバの会で、6月23日(土)午後2時から4時30分まで拙著『朗読の教科書』の連続講義第4回を開催する。今回は第2章後半の姿勢と発声についてとりあげる。会員外でも資料代500円で参加可能。実際の方法を体験してもらう(テキスト持参のこと)http://t.co/EiBsvbGI at 06/18 09:56

WATANABE_tomo / 渡辺知明
日本朗読検定協会主催の第4回青空文庫朗読の輪コンテストの募集要項のページが公開された。応募締め切りは、8月8日(水)。みなさん、そろって応募してください。最終審査は、9月17日(月)を聞きに来ることも可能。学ぶことがいろいろあると思います。http://t.co/LTa9fJcs at 06/18 09:47

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の評価で「あの人は読むのが上手」というのは決してほめ言葉ではない。いい朗読というのは、読み手を忘れるものだ。読み手の声も読み方もその姿も意識されない。読み終えたときに、はっと気がつくのは、自分が今までその作品世界にいたということだ。そして、自分もその作品を手に取りたくなる。 at 06/18 08:40

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読劇という名称が気になる。「朗読」と「劇」との概念が同居することがしっくりしないのだ。また、小中学校の学芸会の舞台を連想してしまう。そもそも現行の「朗読」という概念が「音読」くらいまで価値低下しているのだ。朗読といったら「作品を表現する読み方」というのが常識になったら使いたい。 at 06/18 08:33
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2012年06月18日

2012年06月17日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
文から単語を切り取って高低をつけるのがこれまでのアクセント原理だ。悪戦苦闘しても調べ切れない。だが、2音3音区切りでのアクセント原理は簡単だ。文中のすべてのアクセントが分かる。しかも、アクセント、イントネーション、プロミネンスが、基本アクセントの強さ変化として一貫したものとなる。 at 06/17 20:23

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』で書いたことは日本語の基本である。近ごろ声楽の分野の人たちからフォローされている。2音3音区切りのリズムが日本語の歌でも有効だと分かってくださったのだと思う。じつは、日常の日本語の話し方においても2音3音区切りは有効なのである。ビジネス会話にも応用してほしい。 at 06/17 19:35
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2012年06月17日

2012年06月16日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
いい朗読というのは聞き手に負担をかけないものである。聞き手をいきなり作品の世界のなかに導き入れてしまう。読み手の姿や声は少しも気にならない。目の前に直接に作品がやってくる。ところが、文章をただ声にするだけの読みでは、聞き手は言葉の意味を解釈して自分で世界を想像しなければならない。 at 06/16 23:08

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の本質とは、文章で書かれた文学作品をもっとも原作に近い形で再現することにある。だが、放送原稿にしたり、演劇台本にしたり、音声訳の材料にしたりしてしまう。これはある種のメディア変換なのだ。では、どうしたらメディア固有の生かし方ができるのか。まず、文学を作品として捉えることだ。 at 06/16 08:27

WATANABE_tomo / 渡辺知明
「はなしがい通信」紹介=脇明子『読む力は生きる力』。子どものころ絵本を読んでもらった子どもたちがどうして活字ばかりの本を読めるようにならないのか。最近思う。漫画は絵本の延長と言えそうだ。見ることばではなく聴くことばからの想像力が重要なのだ。http://t.co/Cz90Xl7g at 06/16 07:57

WATANABE_tomo / 渡辺知明
音楽と朗読とのコラボレーションは可能である。ただし、条件がある。朗読は一般的な規格品となってはならない。アナウンスやナレーションでなく、個性的な表現力を発揮したことばとして響かなれけばならない。そうなれば、朗読者はオーケストラの内のひとりの演奏者として迎えられることになるだろう。 at 06/16 07:49

WATANABE_tomo / 渡辺知明
リズムの基本は強弱である。朗読の基礎として2音3音区切りのリズムを訓練すると、なめらかな読みをしても、根底でリズムがはたらくようになる。歌の基本はメロディーである。しかし、歌はことばであるから、歌のメロディーの背後でもリズムがはたらくのだ。それによって歌詞の明瞭度も変わってくる。 at 06/16 07:33

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』で2音3音の区切りのリズムを示した。朗読ばかりのリズムではない。志賀直哉は「文章にはリズムがある」という。書き手が文章を書くときのリズムの確認にも有効なのだ。アタマのなかで2音3音区切りのリズムをとって文を組み立てるなら、まちがいなくリズムのよい文章が書ける。 at 06/16 07:20
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2012年06月16日

2012年06月15日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
7月29日(日)八王子学園都市センターで開催される「子どもいちょう塾」で朗読の講師を務めます。小学4年生から小学6年生まで参加費500円です。詳しくは、案内書を参照してください。『朗読の教科書』を基本に子どもたちともに読みを楽しみます。http://t.co/z4eN7RN9 at 06/15 20:17

WATANABE_tomo / 渡辺知明
「はなしがい通信」バックナンバーにPDF記事でさらに2007年分を追加した。「発行年代順」か「文献索引一覧」から読める。教育をテーマに大杉榮、竹内敏晴、内田樹、エーリッヒ・フロム、戸坂潤、市川浩、米山文明、鈴木大拙、鈴木晶の本を取り上げた。http://t.co/EVB7mJzL at 06/15 06:11

WATANABE_tomo / 渡辺知明
まだ、空きがあります。6月17日(日)11時から日本朗読検定協会主催『朗読の教科書』の講習会です。私が朗読の基礎解説をして、あとは参加者の希望により、発声・発音、アクセント、イントネーション、プロミネンスなどの実習です。申込みは下記へ。https://t.co/xPZ4ZKNL at 06/15 06:08
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2012年06月15日

2012年06月14日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
月刊「はなしがい通信」を読書好きの方がたに贈ります。どうぞのぞいてみてください。子どもと教育というテーマを軸にして、おもにコトバの問題を語ります。ブックレビューとして歴史的なながれもあります。最新刊が311号、通算25年以上続いています。http://t.co/LlgviLMw at 06/14 08:50
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2012年06月14日

2012年06月13日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
野口三千三『原初生命体としての人間』は名著だ。削除なしの旧版の三笠書房版がいい。朗読ばかりでなく、演劇や音楽まで声を使うことを考える人すべてにとっての人生観がある。それどころか、息している人=生きる人すべてに意義ある哲学があるのだ。わたしは「命がけの朗読」という言葉を思いついた。 at 06/13 22:20

WATANABE_tomo / 渡辺知明
「はなしがい通信」のバックナンバーのPDF記事を充実させた。2005年分と2006年分を追加した。「発行年代順」と「文献索引一覧」とから読める。朗読の話題はもちろん、話し・聞き、読み・書きの話題を、子どもの教育問題をベースにして書いている。http://t.co/EVB7mJzL at 06/13 13:31

WATANABE_tomo / 渡辺知明
まだ、空きがあります。6月17日(日)11時から日本朗読検定協会主催『朗読の教科書』の講習会です。私が朗読の基礎解説をして、あとは参加者の希望により、発声・発音、アクセント、イントネーション、プロミネンスなどの実習です。申込みは下記へ。https://t.co/xPZ4ZKNL at 06/13 12:23
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2012年06月13日

2012年06月12日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
「朗読のために腹式呼吸の練習をしている」という人がいる。それなら、呼吸の練習ではなく腹式発声で声を出して読んだらいい。また、「朗読のために体力づくりをする」という人がいる。それなら、朗読によって体力づくりをしたらいい。つまり、からだを使ったいい読みをすれば呼吸も体力もできるのだ。 at 06/12 22:08
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2012年06月12日

2012年06月11日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
6月17日(日)東京で日本朗読検定協会で初の『朗読の教科書』の講習会が開かれる。朗読の基礎理論についての解説はもちろん参加者に実際に発声・発音、アクセント、イントネーション、プロミネンスなどの表現の体験をしてもらう予定だ。申込みは下記へ。https://t.co/xPZ4ZKNL at 06/11 11:15

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の概念として、「放送朗読」「舞台朗読」「朗読パフォーマンス」などの下位区分が有効だ。アナウンサーは「放送朗読」、俳優は「舞台朗読」、そして「朗読パフォーマンス」は作品を材料に読み手の行為を見せるものである。これらのジャンルはすでに成り立っている。では、朗読の本質とは何なのか。 at 06/11 10:40

WATANABE_tomo / 渡辺知明
『朗読の教科書』の記号づけの山カッコのくくりは、イメージを焦点化させるものだ。文は文法的な原則で読む。だが、文学作品の読みでは、読み手は主体的にテーマを設定する。そのテーマをイメージとして焦点化させるのが〈 〉の記号づけだ。テーマによって構成されたまとまりが解釈を生むことになる。 at 06/11 10:32

WATANABE_tomo / 渡辺知明
私の表現よみ理論の原点を発見した。1994年日本コトバの会『日本のコトバ13号』のシンポジウムでの発言だ。読みとは、文学作品の原文に立ち返って、あくまで言葉の表現なのだという発言をしている。朗読は伝達、表現よみは表現という対比も明確だ。
http://t.co/uBbFykcG
 at 06/11 08:54

WATANABE_tomo / 渡辺知明
速読に対して遅読がある。どちらもできるといい。速読は流行りだから読みの技術について本が書かれている。だが、遅読は読みの周辺ばかり問題にする。わたしは『朗読の教科書』で示した記号づけをすすめる。10通りの記号なのだが、徹底的につけると、たっぷり時間を費やせるし内容の理解も深まる。 at 06/11 08:45

WATANABE_tomo / 渡辺知明
文字で書かれた言葉が声にならなくなったとき、その言語はラテン語の運命をたどることになる。文字の言語が声になることとは、日常生活において人間の思想や感情を生き生きと表現できるかということだ。いわば朗読は冷凍食品としての文字をいかに新鮮に解凍できるかという基本的な言語訓練なのである。 at 06/11 08:36

WATANABE_tomo / 渡辺知明
日本語の複雑さは複文構造にある。文が名詞によってくくられて、文の要素となることによる。『朗読の教科書』の記号づけをすることによって文の意味が明確になる。とくに〈 〉と( )との記号が有効だ。単純作業だが、朗読の上達のコツも、この構造を読み取り理解することにある。黙読力も向上する。 at 06/11 08:21

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』の記号づけは、10通りの記号でつけることができる。初歩のレベルからなら小学生から、高度なレベルでは表現よみのための文学作品の語りの構造の分析まで可能だ。読み手の読み取り能力と必要性とに応じて柔軟な使い方ができる。もちろん黙読での文章の読み深めにも役に立つのだ。 at 06/11 08:17
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2012年06月11日

2012年06月10日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』で紹介した「記号づけ」の例として小説の1ページをアップする。小説の文章では、文法構造を基礎にした対話構造が重要である。とくに、「語り手」と人物との対話構造を示す山カッコと内言のカッコに注意して見てもらいたい。 http://t.co/rKexuMbQ at 06/10 21:55

WATANABE_tomo / 渡辺知明
音楽における楽譜の指示と朗読における文章の指示とには共通点がある。音楽については楽譜の読み込みに専門的な努力が傾注されるが、文章はだれもが読めると思っているので、その甘さが朗読にもあらわれてしまう。文には音声言語としての文法があるし文学作品には「語り手」と人物との対話構造がある。 at 06/10 18:12

WATANABE_tomo / 渡辺知明
文学作品を視点論で解釈すると作品の構造は作者と作品との単純な対立になる。作者は作品の外部に位置する。作者の立場から朗読するのでは作品の内部に入れない。だが、もう一歩作品の構造に踏み込むと「語り手」が見える。朗読者は「語り手」の位置に立つことによって作品の内部に入ることができる。 at 06/10 16:42

WATANABE_tomo / 渡辺知明
6月17日(日)東京で日本朗読検定協会で初の『朗読の教科書』の講習会が開かれる。朗読の基礎理論についての解説はもちろん参加者に実際に発声・発音、アクセント、イントネーション、プロミネンスなどの表現の体験をしてもらう予定だ。申込みは下記へ。https://t.co/xPZ4ZKNL at 06/10 16:13

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』(2012パンローリング社)の基礎となるさまざまな論文は下記のサイトで公開している。おもに、文章表現、音声表現の論文である。未公開のものもあるが、注文に応じて参照可能にするつもりだ。また、ご意見・感想・質問も歓迎である。http://t.co/AjLUKk5d at 06/10 06:36

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』で示した2音3音のアクセント原理は、湯山清『国語リズムの究』(1944/国語文化研究所)の検討から生れた。日本語の特徴は2音3音の区切りの基本アクセントが後ろにあることだ。これは朗読するときのからだの沈み込みと対応する。http://t.co/I8q94bQQ at 06/10 06:30

WATANABE_tomo / 渡辺知明
あるジャンルが芸術として成り立つためには批評が必要だ。朗読においても同様である。批評家に求められる要素がいくつかある。(1)そのジャンルと他のジャンルとの関係を対比できる視野、(2)そのジャンルの表現の特性の本質をとらえた理論、(3)個別の作品への批評の業績の積み上げなどである。 at 06/10 06:20

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読する作品のアレンジをどう考えるかという問題がある。まったく手を入れずにそのまま読むのが音声訳、それに対して、まるでつまみ食いをするようにテキストの各部分をチョコチョコと削って読む人もいる。じつは黙読のときにも飛ばして読んだりしているのだ。切り取りは構成であり作品の表現である。 at 06/10 06:14
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2012年06月10日

2012年06月09日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
文章はだれにでも読めると思われている。だが、文学作品の文章を声に出して読んで味わうためには、楽譜を読んで曲を思い浮かべるくらいの能力が必要なのである。読みの基礎は音声言語の表現能力にある。それは、こころとからだと一体になって生み出す感情の動きである。文学への目覚めとはその能力だ。 at 06/09 22:32

WATANABE_tomo / 渡辺知明
国語教育の基本として文字と音声との2本立ての指導が必要だ。これまで国語教育はほとんど文字言語の教育だった。文字言語の支えである音声言語の教育はどれだけ行われたのか。音声が読書能力や話しの能力を高めるという認識が基本となる。『朗読の教科書』はまさにその課題に応えるテキストである。 at 06/09 22:26

WATANABE_tomo / 渡辺知明
世間には間違いが多い。朗読についても常識と思われていることに間違いがいろいろある。「背筋を伸ばす、大きな口を開ける、複式呼吸を練習する、腹に力を入れる、しっかり息を吸う、アクセントは高低にする、読む前に内容を理解する、大きな声を出す、早口ことばを練習する、無声音や鼻濁音が重要だ」 at 06/09 22:04

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』は書店には配本されていません。入手方法はいくつかあります。(1)書店に注文する。(2)インターネットの書店に注文する。(3)5冊以上まとまるなら渡辺知明に知らせて割引で購入できます。送料無料で1冊2,000円です。しかも、著者を講師として呼ぶことができます。 at 06/09 21:30

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の一つの意義は、文学作品を原文の表現を正確に読むことにある。作品の文章を音声化することによって作品の文章表現が客観化されるのだ。翻訳文学を例にするならば、たとえ筋が同じでも、翻訳者による文体の違いが作品の違いになるのである。同一の原文であっても訳者ごとに違う作品があるのだ。 at 06/09 21:23

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読はまだまだ作品の添え物になっている。その証拠としては著作権料を請求されることだ。だが、もしも朗読の価値が上がったなら、書き手から「わたしの作品を声にしてくださってありがとう」という感謝のことばが返ってくるようになるだろう。そのときこそ、朗読の価値が認められたということなのだ。 at 06/09 12:10

WATANABE_tomo / 渡辺知明
アナウンスの原稿というものは、情報の伝達のために文章の読みやすさを意図して書かれている。朗読で扱うのは文学作品である。作品世界の表現を目的として書かれたものだから、まずその意味を読み解くのが目標になる。ここにアナウンスと朗読の根本的な方法の違いがある。記号づけ作業が必要な所以だ。 at 06/09 11:09

WATANABE_tomo / 渡辺知明
教育問題をとりあげた『はなしがい通信』という月刊紙を刊行している。100号くらいまでは『放し飼いの子育て』(1994一光社)という本になったが、それ以後も続いている。2005年分をPDFで読めるようにした。他の記事の体裁も読みやすくした。http://t.co/LlgviLMw at 06/09 10:42

WATANABE_tomo / 渡辺知明
6月19日は桜桃忌だ。太宰治の作品「桜桃」と「家庭の幸福」と2つ並べてざっと黙読した。これまで論じられていないような太宰治論が展開できるような気がする。それは、「お伽草紙」と「新釈諸国噺」などの中期のシリーズと「人間失格」「斜陽」などの中間に位置する意外な太宰世界なのではないか。 at 06/09 06:54
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2012年06月09日

2012年06月08日に渡辺知明が語る

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朗読の表現というのは、いわば「わたしはこの作品をこのように読んでいます」ということを、他人にも分かるように声のかたちにしたものだ。だから、人に聴かれていまう恥ずかしさがある。だが、人が聴いても分かるように読むということによって、自分にも意味が分かるようになるのだから困ったものだ。 at 06/08 23:20

WATANABE_tomo / 渡辺知明
宮澤賢治「注文の多い料理店」はたぶんおもしろい作品なのだろう。黙読ではなんともいえないユーモアが感じられる。だが、朗読された録音を聴いて、わたしはこれまで一度も、そのおもしろさを感じたことがない。だれかそれを表現してほしい。そこに作品の音声化が表現であるという所以があるのだろう。 at 06/08 23:15

WATANABE_tomo / 渡辺知明
6月19日は桜桃忌、太宰治の命日だ。私は6月3日に「富嶽百景」「猿ケ島」「吉野山」を読んだが、最近「桜桃」は太宰の遺作にふさわしいかもしれないと思うようになった。障害児の男の子を抱えた作家であり父である「私」の言う「子供より親が大事、と思いたい」という冒頭の一文の意味を考えたい。 at 06/08 23:05

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からだを動かして朗読するのと、ついからだが動いてしまうのとはまるで別のことだ。意図してからだを動かすのは読みに集中していない証拠だ。それに対して、読みに集中した結果、湧き上がる感情とともにからだが動いてしまうのはいい。だが何よりも重要なのはからだの動きとしての発声そのものなのだ。 at 06/08 10:02

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日本語の強弱アクセントが分からないというのも無理はない。日本語は謙虚な言語なのである。強アクセントのある音の強さは口先からは出ないのだ。背後に退いている。腹の底に沈んでいる。だから高低アクセントの耳にはそれが平板に聞こえる。高低の変化で耳に聞かせようとするから口先の声になるのだ。 at 06/08 09:52

WATANABE_tomo / 渡辺知明
声楽家の山桝信明さんが「強弱(法)は感情だ」という言葉を紹介している。朗読の表現も同様だ。アクセントもイントネーションも究極は音節の強弱で表現される。プロミネンスは、記号づけで波線と二重線に区別される。波線は繊細さ、二重線は重さの表現だ。「http://t.co/E598vbvD at 06/08 09:43

WATANABE_tomo / 渡辺知明
わたしは教育問題をとりあげた『はなしがい通信』という月刊紙を刊行している。100号までは『放し飼いの子育て』(1994一光社)という本になったが、それ以後も続いている。しばらく公開してなかったが、2005年分をPDFで読めるようにした。http://t.co/LlgviLMw at 06/08 09:32

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の発声法において、口→ノド→上体→腰→足元までの一連の動きは一体のものである。一つの技術が全体に影響する。例えば高低アクセントを採用すると、口先が前に出て、ノドが軽くなり、上体は浮く。声はウラ声がかりになり、アクセントどころか、イントネーションまで1つの型にハマってしまう。 at 06/08 06:53
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2012年06月08日

2012年06月07日に渡辺知明が語る

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音声訳やナレーションや外国映画の吹き替えなどの仕事には職人仕事の面がある。だが、一括りに「職人」と呼んでマイナスに評価してはいけない。これらの仕事をするうちに、声の表現の芸術としての面を発見して、朗読の勉強を始める人も珍しくない。そんな人には、拙著『朗読の教科書』をお薦めしたい。 at 06/07 14:47

WATANABE_tomo / 渡辺知明
外国文学の朗読では、まず翻訳の文章が問題になる。というのは朗読の表現はあくまでも文章の表現だからである。文章の表現を外しては声の表現というものはありえない。文のそのままのかたちが作品のかたちであり、思想のかたちなのである。朗読は表現である。作品を要約して粗筋を伝達するのではない。 at 06/07 10:58

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芸術家である声楽家にとって、日本語の音声のことばの問題は深刻らしい。拙著『朗読の教科書』で問題にした日本語のリズム、強弱アクセント、イントネーション、プロミネンスなどの表現要素は歌に原理としても生かされる。ところが、日本語の音声学の研究では、そのような角度の研究が少ないのである。 at 06/07 10:48

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教科書とは一般的には、常識として知っておかねばならないことを手っ取り早く知るための本である。「こんなことを知らなかったのか」と驚くならば、常識知らずということだ。だが、拙著『朗読の教科書』は、常識すらない朗読の世界に常識を打ち立てる本だ。http://t.co/Pwe7djN2 at 06/07 09:21

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実用的な文章はアナウンスやナレーションによって音声化される。文字の機械的な音声化でも画像で文字を見せる程の意味は伝わる。それに対して、文学的な文章は朗読によって音声化される。文字を想像させる直接の声ではない。ことばの声によって、読み手のこころに湧き上がる感情が表現されることだ。 at 06/07 09:00

WATANABE_tomo / 渡辺知明
以前に『グールドで朗読論―表現よみと音楽』という小冊子を書いたことがある。今から考えると、これも『朗読の教科書』において、日本語のリズムやアクセントやイントネーションを考え直すためのきっかけになっていたようだ。とくに朗読と演奏との共通点だ。http://t.co/2iTAzlGP at 06/07 08:50

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拙著『朗読の教科書』は、実はもっとも実用的なことばの本なのである。朗読をさせてみると、その人の話しことばの特徴がすべて出るものだ。話しことばの能力をつけるのには朗読の訓練が最適なのである。本格的な朗読理論の本には、ことばの基礎原理があるからすべてのことばのジャンルに生かせるのだ。 at 06/07 08:32

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』は、音楽家の方たちの参考になる本になったようだ。近ごろ、音楽関係者からTwitterの発言に関心をよせていただいている。それも、当然なことだ、これまでの朗読論ではもちろん、日本語論としてリズムやアクセントやイントネーションについて本質的な議論がなかったからだ。 at 06/07 08:26

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読をする人たちの音楽の取り入れ方はたいてい間違っている。朗読に音楽を付けたすのではない。朗読のことば自体が音楽性を持たねばならない。リズム、テンポ、クレッシェンド、デクレッシェンドなどの変化は朗読にも十分応用されるものである。ただし、ことばの意味と感情とをより引き立てるためだ。 at 06/07 08:23

WATANABE_tomo / 渡辺知明
ランガー『哲学的素描』にことばの起源の仮説がある。祭式での舞踏と歌との組み合わせをきっかけに歌から生まれたとする。重要なのが歌とことばとのちがいだ。歌は音調のつながりだが、ことばは細かく区切られる。歌のメロディーからリズムをもった区切りが切り出されてことばになったと言えるだろう。 at 06/07 08:14
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2012年06月07日

2012年06月06日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
わたしが「表現よみ」というと、朗読からはなれた概念だと思う人もいるようだ。だが、荒木茂氏の研究によると昭和10年代からすでに「朗読」から「表現」への発展として、使用されていたのだそうである。まず、石山脩平、田中豊太郎の名が上がっている。
http://t.co/g7o0LmbC
 at 06/06 10:01

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』を持っている朗読関係の有名人が3人いる。「朗読少女」「朗読執事」には贈呈で送付した。そして、渡部陽一さんには手渡した。渡部さんは最初から2音3音区切りの沈み込みによる発声を身に付けていた。思いを重い声で表現できる人だ。わたしも本を書くことで朗読の理論を学んだ。 at 06/06 09:53

WATANABE_tomo / 渡辺知明
音楽の音は抽象的であり、感性的なものである。それに対して、言葉は意味をもった知的なものである。表現性のある朗読では、言葉の知的な意味の背後で人間の感情を表現している。音楽はこの感情をわずかの響きで切り崩し、しかも言葉の背後の感情に取って代わってしまうのだ。それほど音楽の力は強い。 at 06/06 09:46

WATANABE_tomo / 渡辺知明
日本朗読検定協会で開催する拙著『朗読の教科書』の講習会は、これから全国各地で開催する予定である。ご希望の方は協会宛てに「こちらで開催を」という希望をメールで通知してください。開催情報は毎週水曜発行のメールマガジンで知らされるのでぜひ登録を。http://t.co/hbxPHk5O at 06/06 09:36

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読会のために楽器の演奏家を呼ぶ人がある。声と音楽とどちらの感情刺激が強いか。音楽に決まっている。庇を貸して母屋を取られるという事態になる。朗読は音楽の添え物になる。わたしが音楽家を呼ぶなら音楽を添えものにしてしまうか、対等の表現者の立場で互いに切り結ぶ方法を模索したいと思う。 at 06/06 09:20

WATANABE_tomo / 渡辺知明
「朗読とはこういうものだ。自分の朗読はこれだ」と思った瞬間に成長も発展も停止するだろう。朗読とは一つの読み方で作品を処理するものではない。それは悪い意味での職人芸だ。文学作品の一作ごとに「語り口」はちがっている。それをよみ分けようとしたら決められた読み方など役に立たないのである。 at 06/06 09:12

WATANABE_tomo / 渡辺知明
日本朗読検定協会で初の『朗読の教科書』の講習会が開かれる。6月17日(日)に東京で開催される。朗読の基礎理論についての解説はもちろん、実際に参加者に発声・発音、アクセント、イントネーション、プロミネンスなどの表現の体験をしてもらう予定だ。https://t.co/xPZ4ZKNL at 06/06 09:00

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の基礎技術で表現にとっての重要度にはちがいがある。さほど重要でないのが、無声音や鼻濁音や高低アクセントなどである。これらは放送のための音声技術だ。それに対して、表現にとって重要なものが、発声と声の抑制力、プロミネンスなど、からだの動きとこころの動きとの結節点にある要素である。 at 06/06 08:44

WATANABE_tomo / 渡辺知明
文学作品のおもしろさは、文字から直接わかる言葉の内容と、語り手や人物の語りぶりとが矛盾していることから生じる。そこに朗読の声による表現性がある。だから、文学作品の朗読を聞いていて、言葉が字づらどおりの情報を伝えるだけで語りぶりが平坦なものは、聞いていてもおもしろくないことになる。 at 06/06 08:38

WATANABE_tomo / 渡辺知明
アナウンスやナレーションは1つの「語り口」であるが文学の「語り口」には入れられない。朗読は文学作品を読むものである。とくに小説には様ざまな「語り口」があるが、放送の共通語はいわば遊郭の花魁言葉なのである。文学作品に取り入れられることはめったにない。表現の工夫はその自覚から始まる。 at 06/06 08:30

WATANABE_tomo / 渡辺知明
「朗読家」と名乗る人がいる。「作家」というと、フィクションの書き手で、著作を本で出版したという基準か。だが今は単なる著作者までを「作家」と呼んでいる。では、朗読家はどうか。朗読の質の良し悪しは問われない。有料のイベントを開催したことか。何かひとつ、これはという基準ができないか。 at 06/06 08:14

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読は表現を目指すものである。理想はことばの先読みである。目で見たことばを声に転換しながら先のことばを予想して意味を構成していくのだ。そこには、読み手による語句の関連付けの先読み能力が必要とされる。だが、たいていは書かれた文字の後追いをしてしまうので表現を生まない読みあげになる。 at 06/06 08:00
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