【連載】第15回
●理論文の読み方
「理論文には文学文とはちがった読み方のコツがあります。じつは、読むのも書くのも、理論文の方がやさしいのです。先ほど、わたしは文章は頭からしっかりよむことが大切だと言いました。しかし、わたしは理論文は、そういう読み方をしません。拾い読みです。
「その読み方の技術ですが、今ここで少し話をしておきましょう。
まず、形式段落に番号を振ります。形式段落というのは、一文字下げてあるところです。そこに丸数字を@AB……と振ります。これだけで意味があるのです。わかりますか。実際にやってみると分かりますが、文章の構成がかたちとして見えてきます。詳しくはあとでお話ししましょう。
「わたしは今、幸田露伴著『努力論』(岩波書店)を読んでいます。理論文の読み方の訓練としておもしろい本です。文語体で読みにくいのですが、論理がじつに明快です。この人はいわば理科系的な文学者です。こんなに論理明快な人は日本の文学者にはめずらしいです。恥ずかしいほど論理が裸のかたちで現れています。論理がこんなに見えてしまった文章はつまらなくなるだろうと思うかもしれません。ところが、おもしろいのです。この本も、わたしの読みの技術を応用して読んでみてください。
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「さて、理論文の飛ばし読みをどうやるかという一例です。たとえば、「私が考えていることは三つある。」という展開がよくあります。これを文学文を読むときのように順序どおり読んでいったら、一つ目を読むうちに、あとの二つが気になります。そこで、先まわりして、その三つが何なのかとらえておきます。その三つの書き出しのことばを拾っておくのです。「第一に、第二、第三に……」に傍線を引いてしまいます。わたしは、このような作業を学生にやらせながら文章の読みかたを指導しています。
「なぜこれを考えたかお話しをすれば、国語の読み方教育に役に立つと思います。じつは、わたしは大学生時代から十年ほど、中学生の補習塾の国語の講師をしていました。いわゆる「落ちこぼれ」の生徒が通う塾です。授業で本を読ませようとしても、生徒たちは本を目で追うことすらしませんでした。
「何か良い方法がないかと考えて工夫したのが「印しつけよみ」という方法です。生徒に鉛筆を持たせて、印をつけさせながら文章を読ませたのです。この具体的な技術については、あとでもっと詳しくお話ししましょう。
●文学文の読み方
「ところで、文学文は拾いよみ、あるいは飛ばし読みではいけません。一語一語、一文一文を大切にしてよみます。一つの形容詞が大事なのです。その形容詞を強くよむか弱くよむかまで大事なのです。語順が入れ替わっただけで、意味が変わります。すぐれた文学者は、語順にもたいへんな工夫をしています。たとえば、国木田独歩です。この人の文章を読んでいて変な語順だなあと思うところがありました。「武蔵野」だったと思います。そのわけは声に出してみてわかりました。音のリズムをととのえるために語順を入れ替えているのです。独歩は詩人です。文の意味よりもことばのリズムを優先することがあるのです。そういう意味では、文学文はしっかりよむ必要があります。
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「文学作品は、小さい声で良いですから、ぶつぶつと言いながら声に出してよみます。声に出すことが目的なのではありません。よみながら内容をつかむのです。小さい声でぶつぶつ言いながら、内容が掴める速さで読むのです。意味が飲み込める速さです。途中で意味を見失ったら、間を取って考えるのです。
「よみながら文を理解する練習としては、新聞のコラム、これを毎日読んでみてください。一日三分くらいです。これを毎日、続けると話をする力もつきます。というのは、話しをしていて、自分がいま立てた主語、その主語の音を記憶しつつ、述語と結びつけることができるようになるからです。
「いわゆる「朗読」では、文字をただ声で読んでしまうことが多いのです。主語をよんだ声が述部をよむ声と結びつくことなどは考えません。それに対して、自分の声を聞きながら、主語の声を述部の声につなげて、文にまとめる意識が大切です。これで文を書くときの意識が変わります。ものを考えるときの考え方が変わります。文を書いても主語と述語が対応するようになります。ネジレない文が書けるようになります。さらに、文章のながれも意識できるようになるのです。(つづく)