2006年05月30日

文章推敲力を育てる添削入門(15)大学編

◎ある大学で文章添削の実践者のための講義をしました。あらためて驚いたことは、文章の書き方の本は数多くあっても、添削や推敲について書かれた本がほとんどないということです。そこで、わたしはあらためて、文章力の養成を、添削と推敲の角度から考えることになりました。2日間で通算7時間の講義の記録に手を入れて少しずつ公開します。(第1回2006.2.21、第2回3.7。第1−12回は旧サイトにあります)

【連載】第15回
●理論文の読み方

「理論文には文学文とはちがった読み方のコツがあります。じつは、読むのも書くのも、理論文の方がやさしいのです。先ほど、わたしは文章は頭からしっかりよむことが大切だと言いました。しかし、わたしは理論文は、そういう読み方をしません。拾い読みです。
 
「その読み方の技術ですが、今ここで少し話をしておきましょう。
 まず、形式段落に番号を振ります。形式段落というのは、一文字下げてあるところです。そこに丸数字を@AB……と振ります。これだけで意味があるのです。わかりますか。実際にやってみると分かりますが、文章の構成がかたちとして見えてきます。詳しくはあとでお話ししましょう。

「わたしは今、幸田露伴著『努力論』(岩波書店)を読んでいます。理論文の読み方の訓練としておもしろい本です。文語体で読みにくいのですが、論理がじつに明快です。この人はいわば理科系的な文学者です。こんなに論理明快な人は日本の文学者にはめずらしいです。恥ずかしいほど論理が裸のかたちで現れています。論理がこんなに見えてしまった文章はつまらなくなるだろうと思うかもしれません。ところが、おもしろいのです。この本も、わたしの読みの技術を応用して読んでみてください。
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「さて、理論文の飛ばし読みをどうやるかという一例です。たとえば、「私が考えていることは三つある。」という展開がよくあります。これを文学文を読むときのように順序どおり読んでいったら、一つ目を読むうちに、あとの二つが気になります。そこで、先まわりして、その三つが何なのかとらえておきます。その三つの書き出しのことばを拾っておくのです。「第一に、第二、第三に……」に傍線を引いてしまいます。わたしは、このような作業を学生にやらせながら文章の読みかたを指導しています。

「なぜこれを考えたかお話しをすれば、国語の読み方教育に役に立つと思います。じつは、わたしは大学生時代から十年ほど、中学生の補習塾の国語の講師をしていました。いわゆる「落ちこぼれ」の生徒が通う塾です。授業で本を読ませようとしても、生徒たちは本を目で追うことすらしませんでした。

「何か良い方法がないかと考えて工夫したのが「印しつけよみ」という方法です。生徒に鉛筆を持たせて、印をつけさせながら文章を読ませたのです。この具体的な技術については、あとでもっと詳しくお話ししましょう。

●文学文の読み方
「ところで、文学文は拾いよみ、あるいは飛ばし読みではいけません。一語一語、一文一文を大切にしてよみます。一つの形容詞が大事なのです。その形容詞を強くよむか弱くよむかまで大事なのです。語順が入れ替わっただけで、意味が変わります。すぐれた文学者は、語順にもたいへんな工夫をしています。たとえば、国木田独歩です。この人の文章を読んでいて変な語順だなあと思うところがありました。「武蔵野」だったと思います。そのわけは声に出してみてわかりました。音のリズムをととのえるために語順を入れ替えているのです。独歩は詩人です。文の意味よりもことばのリズムを優先することがあるのです。そういう意味では、文学文はしっかりよむ必要があります。
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「文学作品は、小さい声で良いですから、ぶつぶつと言いながら声に出してよみます。声に出すことが目的なのではありません。よみながら内容をつかむのです。小さい声でぶつぶつ言いながら、内容が掴める速さで読むのです。意味が飲み込める速さです。途中で意味を見失ったら、間を取って考えるのです。

「よみながら文を理解する練習としては、新聞のコラム、これを毎日読んでみてください。一日三分くらいです。これを毎日、続けると話をする力もつきます。というのは、話しをしていて、自分がいま立てた主語、その主語の音を記憶しつつ、述語と結びつけることができるようになるからです。

「いわゆる「朗読」では、文字をただ声で読んでしまうことが多いのです。主語をよんだ声が述部をよむ声と結びつくことなどは考えません。それに対して、自分の声を聞きながら、主語の声を述部の声につなげて、文にまとめる意識が大切です。これで文を書くときの意識が変わります。ものを考えるときの考え方が変わります。文を書いても主語と述語が対応するようになります。ネジレない文が書けるようになります。さらに、文章のながれも意識できるようになるのです。(つづく)



2006年05月28日

文章推敲力を育てる添削入門(14)大学編

◎ある大学で文章添削の実践者のための講義をしました。あらためて驚いたことは、文章の書き方の本は数多くあっても、添削や推敲について書かれた本がほとんどないということです。そこで、わたしはあらためて、文章力の養成を、添削と推敲の角度から考えることになりました。2日間で通算7時間の講義の記録に手を入れて少しずつ公開します。(第1回2006.2.21、第2回3.7。第1−12回は旧サイトにあります)

【連載】第14回
●分かりやすい文章の展開

 「文章には、原則となる文の展開があります。まず「結論(命題)」を述べて、それから「説明」です。先の例で言うならば、「お金を貸してください」とまず言うのです。すると、相手の疑問がわきます。「どうして?」「なぜ?」ということです。そこで疑問に答えるのです。

 「タイミングよく文を展開するには、書き手も読み手の疑問を察知する能力が必要です。読み手にどんな疑問が湧くのか、文を書いたとたんに想像できる能力です。そのための訓練方法を紹介しましょう。

 「じつは、文章は読み手との対話で展開するのです。たとえば、話しの場合には、「お金を貸してください」と言ったら、相手は「えっ?」と思います。「どうして?」「なぜ?」という疑問です。だから、次に「どうしてかというと、財布を忘れたからです」とか、「なぜなら、落としてしまったからです」とか答えます。

 「文章でも同じです。読み手の疑問に答えることで展開するのです。ですから、添削をする人も、文を一文よむごとに、疑問を持ちながら読んでいくのです。一文ごとに質問です。

 「そこで質問の手がかりになる項目があります。暗記しやすいのが、「ダイ・ドドナ・ドドナ」です。これは小学生からおとなまで使える項目だてです。細かく言うと、「だれが、いつ、どこで、どんな、なにを、どのように、どうする、なぜ」です。英語でいう、5W1Hに対応します。これなら一日に三回も読み上げていれば、三日くらいで覚えられます。日本語ですから、英語が苦手な子どもたちでも覚えられるでしょう。

 「質問の項目でとくに重要なのが「なぜ」です。これが論文の基本です。弁論の展開の原則について、アリストテレスが言っています。ある命題、つまり「なにが、どうだ」とか、「なにが、なにだ」というかたちの文です。その文が述べられたあとには、「たとえば」か「なぜなら」がつながります。

 「これはほとんどの文の展開に言えます。とくに意見文の場合にはこのとおりです。何か文を書いたらすぐに、「たとえば」でつなげるか、「なぜなら」でつなげるか考えます。これが文の展開の基本です。文学文では例外がありますが、理論文ならばほとんど当てはまります。(つづく)

2006年05月26日

文章推敲力を育てる添削入門(13)大学編

◎ある大学で文章添削の実践者のための講義をしました。あらためて驚いたことは、文章の書き方の本は数多くあっても、添削や推敲について書かれた本がほとんどないということです。そこで、わたしはあらためて、文章力の養成を、添削と推敲の角度から考えることになりました。2日間で通算7時間の講義の記録に手を入れて少しずつ公開します。(第1回2006.2.21、第2回3.7。第1−12回は旧サイトにあります)

【連載】第13回
●文の主部と述部

 「二つ目は、初歩の初歩ですが、主部と述部とのネジレの問題です。これはバカにできません。文の組み立ての基本は「ナニガ、ドウダ」「何が、どうする」の組み合わせです。ところが、学校教育では、こんな基本的な文法でさえ十分に教育されていません。文法では主語と述語の対応を学ぶでしょう。ところが、実際に文を書くところになるとねじれてしまうことがよくあるのです。子どもばかりではありません。大人でも同じことです。

 「ここに、日本コトバの会『コトバ勉強のあゆみ半世紀』があります。この中に、わたしは「接続語の十一通り」という論文を書いています。わたしの文章トレーニングはこの応用です。つまり、接続語を使って、単純な文を論理的に組み立てて書くトレーニングです。この十一通りで文章の分析もできますし、書くこともできます。これをマスターすればよいのです。これを組み合わせると、たとえば起承転結という組み立てもできます。いろいろなパターンがほかにもできます。文章を手がかりに論理的な訓練をするのです。接続語を軸にした起承転結の組み立てです。それが文書トレーニングです。前提として、文の組み立てが基本になります。

 「ほかに、わたしが編集した本で、『コトバ学習事典』(1990一光社)というものがあります。今になって読んでみると、自分で自分をほめてやりたい気がします。ちなみに、今、わたしが言ったコトバはオリンピックのマラソンで銀メダルを取った有森裕子さんのことばです。しかし、マスコミが報道するとき、「自分で自分をほめてあげたい」と書いてしまったのだそうです。それ以来、「あげたい」が使われています。これは尊敬語と謙譲語の使い方として、添削でも問題になります。これも添削の一つの課題です。添削は文字の校正ではありません。この本は残部僅少です。

 「この「あとがき」がおもしろいのです。わたしが書きました。「このもう手にした方に」と書いてあります。よんでみましょう。
 「あなたは今、この本を手にして、買おうか買うまいかと迷っていますね。それでしたら、絶対に買うべきです。この本に目をつけるような方なら、ましてあとがきから内容を探ろうとするような方なら、この事典の必要性を感じているにちがいないでしょう。この本はあなたのために作り上げた本と言ってよいでしょう。」
 
 「こんな具合です。これで買ったという人がいるのです。おもしろいでしょう。自分でも笑ってしまいました。

 「さて話しは戻ります。今お話しした文の組み立てについても、あとでお話をします。

 「主部と述部の組み立てというものは、文章においてはイロハのイのようなものなのです。しかし、それが実際に文章を書くとつい忘れてしまうのです。考えがすっきりしないまま文を組み立てるからです。これについても、いちいち直すのではなくて、記号化して書き手に直させるとよいでしょう。

 「添削の例の中にもたくさんありました。六行もあるような文が書かれています。長いです。長すぎます。これだけ長くしたら、たいてい文はねじれます。「私にとっての作文」と書いた方です。読んでみましょう。

 「まず日頃ぼんやりと、考えている私は、作文を始めようとすることで、何らかの課題を与えられることになり、そこでしばしば自分の問題意識の低さを自覚するのである。」

 「みなさんはテキストを見ながら聞いているからわかります。しかし、テキストがないと、耳で聞いてどこまで理解できるかむずかしいのです。英語などの外国語では先に述語がでてきます。それから後づけとして説明が出てきます。ところが、日本語ではこんなふうです。
 「私はきのうから買いたい本が一冊あるのですが、今日、こうしてお宅に伺っていろいろお話をしているうちに、前から話したかったもあるので、あなたに聞いていただいて、ぜひとも、お話ししたいこともあるのですが、いま思いきっていますと、お金を貸してください。」

 「これが日本的な話し方です。聞いている人はどんなことを考えているでしょうか。話しが進むにつれて、腹をさぐることになります。
 「この人、なんで来たのかなあ……」と思っていると、最後になって「お金を貸してください」と言うわけです。

 「長い文はこんな話し方に近くなります。文章の理想としたら、もっと早く意味が分かる方がいい。「こうなのだ、なぜならこうだ」というような簡潔な展開がよいのです。そうすれば、聞き手も最初から結論が分かります。(つづく)
※この本は入手できます
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