じつは、昨年、秋の表現よみO(オー)の会5周年記念で、元NHKアナウンサーの小林大介氏との対談で、高低アクセントのよみと強弱アクセントのよみの対比を行ったのである。また、今年5月の福島磐梯町での公演でも、やはり小林氏と同様のテーマで対談をしたのである。この録音は残っている。小林氏の了解が得られれば公開もできるかもしれない。あるいは、わたしが独自に録音構成をしてみるかもしれない。
高低アクセント理論の弊害というものがある。これはアクセントの問題にはとどまらない。発声や文学作品の表現にも関わってくるのだ。簡単にいってしまうと、高低アクセントはアナウンスのためのものであって、声の表現を阻害するものだ。また、高低アクセントを採用することによって、発声方法そのものがしばられるのである。それに対して、強弱アクセントは、現代のにおいては失われた日本の伝統的な発声方法をよみがえらせるものである。
今、この時代に強弱アクセントの理論を唱える人は、わたしのほかに見あたらない。だが、かつて、折口信夫『言語情調論』、幸田露伴「音幻論」(『露伴随筆集(下)』所収)などでは、重要なものとして問題にされている。強アクセントは高低アクセントの立場に立つ限り実現できないものである。端的に言うと、声の表現の本質は強アクセントとプロミネンス(いわゆる「強調」)である。ただし、強アクセントを目指すための独自の発声方法に支えられてこそ成り立つ。その表現効果は、朗読に限らず演劇など、声に関するあらゆる分野に及ぶものである。
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