2013年06月13日

「翼をください」を2音3音区切りの強弱アクセントで歌う

「翼をください」の強弱アクセント歌にはメロディーがある。しかし、その背後に歌詞の意味を表現する強弱アクセントがあるはずだ。
 こんな直感から、「翼をください」の解釈について、拙著『朗読の教科書』の強弱アクセントの原理で分析をしてみた。そして、わたしの直感が正しかったことを発見した。
 左上に示す「翼をください」の図(クリックして拡大)強弱アクセントの●にアクセントを置いて歌うことによって、歌の説得力がまちがいなくあがるはずである。
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渡辺知明

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2013年02月12日

能『高砂』冒頭の高低・強弱アクセントによる読み方

 Twitterで、能や狂言のイントネーションは正当なイントネーションになっていると発言した。すると、ドイツ在住で世阿弥などを研究している重田みち氏から反応があった。話し言葉と謡の節との関係についてご指摘をいただいた。それについて質問したら、2013年2月11日(月)に「「文字なまり」と「節なまり」」というブログ記事で、謡の節の成立について解説してくださった。

 わたしが気になったのは、重田氏が日本語の高低アクセントの原理から成り立ちを解説していることだった。それで、わたしは拙著『朗読の教科書』で提唱する強弱アクセントの立場から、重田氏の解説を追って見ることにした。重田氏が例に挙げたのは、 「世阿弥作の能『高砂』の、老人夫婦が登場した時の謡の最初の一句」である。それについて、わたしも強弱アクセントの原理で分析をしてみる。

 高砂の、松の春風吹き暮れて、尾上の鐘も、響くなり

(1)高低アクセントによる読み(カタカナが高アクセント)
 たカさごの、マつの/はルかぜ/ふきクれて/
 おノえの/かねも、ひビく/ナり

※高低の読み方をすると、まったく謡とはかけ離れた現代風のコトバづかいになる。

(2)強弱アクセントによる語り(片仮名が強アクセント)
 たカ/さごノ、マつの/はル/かゼ/ふキ/クれて、
 おノ/えノ/かねモ、ひビく/ナり

※強弱アクセントのための発声で、止めのところを沈みのアクセントにすれば、すでに謡に近いよみ方になっている。

(3)「節なまり」の推定(強弱アクセント)
 たカ/さゴ/の□、まつノ/はル/かゼ/ふキ/くレ/て□、
 おノ/えノ/かネ/も□、ひビ/くナ/り□

 最後に下記に上の3通りの読み方のモデル例を録音で掲載しておくことにする。読み方の順序は、(1)→(2)→(3)→(1)である。


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2012年03月20日

表現よみでメルロ=ポンティ「幼児の対人関係」序論

 専門的な文献を表現よみしたらどうなるかという実験です。
 メルロ=ポンティの著書の多くは難解なことで有名ですが、『眼と精神』に収録された「幼児の対人関係」は、講演形式を意識した「です・ます体」の文体で訳されています。
 著者が講義をしているような「語り口」で読めるかどうかという実験をしてみました。耳で聴いて、内容がどのくらい分かるでしょうか。

表現よみ:渡辺知明(14分35秒)


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2010年01月03日

アクセントとイントネーションの正しさ

 音声表現において、アクセントの正しさということは問題にされますが、イントネーションの正しさということはほとんど問題にされていません。

 読んでいるときのイントネーションと話しているときのイントネーションは根本的なちがいがあります。読んでいる時にはイントネーションは上り階段になります。それに対して、話し手いる時にはイントネーションは下り階段になります。次の図をご覧ください。

intonation.jpg わたしたちは日常生活では下り階段のイントネーションで話をしています。しかし、ひとたび文章を目にしてしまうと、どうしても上り階段のイントネーションで読んでしまうのです。

 これは、テレビのナレーションやアナウンスでも同様です。アナウンスが、不自然なイントネーションに聞こえるのは、日常生活とはちがった上り階段のイントネーションで読んでいるからです。

 残念なことには、その調子が子どもたちに語りや読みきかせをしているひとたちにも影響を与えて、上り階段のイントネーションで語る人たちが大勢いることです。

 そのような語り方には、自分に親しく話しかけられているという感じはしないものです。音声表現の基本的な出発点は、この上り階段のイントネーションから下り階段のイントネーション上の転換にあるといえるでしょう。
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2009年04月14日

音楽と朗読との共存はできない!

 わたしは以前から「朗読」には音楽をつけないほうがいいという考えである。音楽の側がよほどの配慮をしないと、朗読が食われてしまうだろうと思っていた。最近、S.K.ランガー『芸術とは何か』(岩波新書E50)で、「同化の原理」というものを読んだ。ひとつの芸術ジャンルが他の芸術ジャンルを同化してしまうので、二つの芸術の同居はあり得ないというものである。
 
 これは次のように結論づけられている。102ページ
「すべての作品は、ただ一種類の芸術のなかにその本質的な存在を保っている。さまざまな芸術によって組み立てられた作品は、ただ結合されたのではなく、そのうちの一つを除いて、他はすべてもとの姿ではなくなる。」

 具体的にはいろいろな例があるが、朗読と音楽との関係では、詩と音楽との関係が近いだろう。101ページ

「すぐれた詩を巧みに作曲した場合を考えてみよう。その結果はすぐれた歌曲である。」

「詩的創作は、歌のなかでは間接的な価値をもち、作曲家の想像力をかき立てて、彼に歌を作曲させるにすぎない。その後、芸術作品としての詩は霧散する。言葉も、音も、意味も一様に、またその句法も、そのイメージも、すべて音楽の材料となる。詩の原文は、巧みに作られた歌曲のなかにすっかり吸収されてしまう。それは、詩に用いた言葉に価値がないとか、それ以外の言葉で間に合うという意味ではなく、言葉が音楽的に利用され、それが新しい構成のなかにはいりこんだこと、そして、詩としての詩が歌のなかでは消滅したことを意味している。」

 詩と音楽とでは音楽の勝ちになるが、舞踏と音楽とでは音楽は負けて舞踏の勝ちになる。また、オペラとは、音楽と演劇との勝負であるが、これは演劇の勝ちになる。

 さまざまなジャンルのなかでは演劇がいちばん強そうである。次のように書かれている。103ページ

「演劇は、舞台のなかにはいり込んでくるすべての造形的創作を吸収し、また、これら造形的創作自体の絵画的、建築的、または、彫刻的な美が、演劇自体の美に貢献するのではない。」

 このあとで、ミロのヴィーナスを例にして、こんなおもしろいたとえを書いている。

「偉大な彫刻品、たとえば、ルーブル美術館にあるミロのヴィーナスを、喜劇、または悲劇の舞台に移しても、それは所作の一要素である舞台装置しての価値しかなく、その目的には、ボール紙で作った代用品ほどの価値さえない場合もあろう。」

 以上が芸術ジャンルにおける「同化の原理」――いわばジャンル同士の食い合いの原理である。朗読と音楽の関係も、こうして考えると芸術論の根本的な課題に通じる深いものがある。

 もしも朗読に音楽を取り入れるとしたなら、よみと音楽とに守るべき原則が必要だろう。第1に、よみについては、作品の表現を積極的に打ち出すこと――朗読でなく表現よみである。第2は、音楽については、作品の意味を食うことを前提にした切りはなしをすること、この二つだろう。
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2008年11月21日

「人間失格」は大嫌いだ!

 今年は太宰治没後60年、来年は生誕100周年になる。

 太宰治の代表作というと、「人間失格」や「斜陽」が代表作とされているが、わたしは否定する。売れた作品、必ずしも代表作ではない。むしろ、中期の「新釈諸国噺」や「お伽草紙」が、代表作だと思う。

 今後、朗読作品として、太宰治作品が話題になるだろうが、わたしは「人間失格」や「斜陽」はよまないつもりだ。 しかし、音声表現による「太宰治全集」というものは目ざしている。音声ブログとして『表現よみ☆太宰治の世界』を開設した。どうぞ、下記のアドレスで聴きください。
 アドレス=「表現よみ☆太宰治の世界」
posted by 渡辺知明 at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 音声表現 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月18日

音声作品作成のためのPCMレコーダー

 最近、朗読CDの製品版がぼちぼち発売されるようになった。しかし、朗読そのものの評価がない中で製品化される朗読は残念ながら聴くに堪えないものが多い。アマチュアの録音の中にはずっとすぐれた音声表現の作品が数多くある。

 だが、残念なのは録音の技術において聴き劣りがする点である。アマチュア音楽の世界でインディーズがあるのだから、朗読の世界でも自作のCDをお互いに販売して聴き合うというような文化ができたらいいと思う。

 そこで登場するのが雑音のない、音質のいい録音機である。いわゆる、PCMレコーダである。ICレコーダよりも高度な音質の録音のできる録音機器だ。オリンパスから10月に発売される小型のICレコーダ兼用の機種を含めて、わたしが推薦するのは下記の三機種である。ちなみに、わたしがソニーのPCM-D50を使用して録音した梶井基次郎「桜の樹の下には」(2008.6.1第13回表現よみ独演会にて録音)をアップして置こう。


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2008年01月26日

お話しPodが【携帯版】朗読のテスト配信!

 今、お話しPodが「【携帯版】お話しPod」として、携帯電話に文学作品の書きだしの配信を始めた。今のところ、auとDoCoMoで聴ける。

 わたしのよんだ「蜘蛛の糸」と「それから」とが使われている。ダウンロードの都合上、冒頭の1分弱くらいである。今後、いろいろな文学作品の書きだしを取りあげていくようだ。

 若い人たちの読書離れが問題になっているから、有名な文学作品の書きだしについても、ほとんど知らないというような状況かもしれない。これを機会に、若い人たちが、文学作品に関心を持って、作品全体を読みたいというような刺激になればいいと思う。

携帯お話しPod 下記の4作品がアップしてある。
 URLは下記であるが、右にQRコードもつけておこう。
http://www.ohanashipod.jp/keitai/
posted by 渡辺知明 at 11:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 音声表現 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月04日

ロシアのクリスマスは1月7日―表現よみCD『ロシアのクリスマス物語』

 ロシアのクリスマスは1月7日だということはご存じですか。2006年12月8日(金)にロシア文学専門の出版社(群像社)から出された日本初の表現よみCDブック『ロシアのクリスマス物語』(録音70分台本付)の紹介です。今年こそ、ロシアのクリスマスにプレゼントするのはいかがでしょうか。
 読まれている作品は次のとおりです。( )はよみ手。シメリョフ「クリスマス」(佐藤絹代)、ドストエフスキイ「キリストのヨールカ祭に招かれた少年」(渡辺知明)、ソログープ「雪娘」(黒部二三四)、ブーニン「イーダ」(山口葉子)、クプリーン「クリスマスの列車で(車両長)」(吉野由美子)。
 読み手は、表現よみO(オー)の会の5人(出張よみ依頼はメールで)






ロシアのクリスマス物語―CDブック
ロシアのクリスマス物語―CDブックシメリョフ ドストエフスキイ ソログープ

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stars表現としての「朗読」作品

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posted by 渡辺知明 at 21:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 音声表現 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月26日

表現よみの基本と記号づけ(4/4)

記号づけ一覧
 2007年12月1日に独協大学で開かれた日本コトバの会主催の表現よみフェスティバルでの渡辺知明の講演「表現よみの基本と記号づけ」の録音を4回にわたってお送りします。

(右の記号づけ一覧クリックで拡大表示。記号づけ「鼻」「鼻」のよみ実例。日本コトバの会のホームページ

 第4回 「記号づけ」で理解を深める
11分44秒

posted by 渡辺知明 at 14:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 音声表現 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月20日

講演=表現よみの基本と記号づけ(3/4)

記号づけ一覧
 2007年12月1日に独協大学で開かれた日本コトバの会主催の表現よみフェスティバルでの渡辺知明の講演「表現よみの基本と記号づけ」の録音を4回にわたってお送りします。

(右の記号づけ一覧クリックで拡大表示。記号づけ「鼻」「鼻」のよみ実例。日本コトバの会のホームページ

 第3回 「記号づけ」はよみの手がかり
7分20秒

posted by 渡辺知明 at 12:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 音声表現 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月16日

講演=表現よみの基本と記号づけ(2/4)

記号づけ一覧
 2007年12月1日に独協大学で開かれた日本コトバの会主催の表現よみフェスティバルでの渡辺知明の講演「表現よみの基本と記号づけ」の録音を4回にわたってお送りします。

(右の記号づけ一覧クリックで拡大表示。記号づけ「鼻」「鼻」のよみ実例。日本コトバの会のホームページ

 第2回 文学作品には「語り口」がある
6分38秒

posted by 渡辺知明 at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 音声表現 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月14日

講演=表現よみの基本と記号づけ(1/4)

記号づけ一覧
 2007年12月1日に独協大学で開かれた日本コトバの会主催の表現よみフェスティバルでの渡辺知明の講演「表現よみの基礎と記号づけ」の録音を4回にわたってお送りします。

(右の記号づけ一覧クリックで拡大表示。記号づけ「鼻」「鼻」のよみ実例。日本コトバの会のホームページ

 第1回 表現よみの「語り口」とは何か?
7分24秒

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2007年11月07日

朗読の発声法と「密息」の原理

 尺八の演奏家・中村明一さんが「密息」という呼吸法を唱えている。
 その特徴は、次のようなものである。
 「ごく簡単にいえば、腰を落し(骨盤を後ろに倒し)た姿勢をとり、腹は吸うときも吐くときもやや張り出したまま保ち、どこにも力を入れず、身体を動かすことなく行う、深い呼吸です。外側の筋肉でなく深層筋を用い、横隔膜だけを上下することによって行うこの呼吸法では、一度の呼気量・吸気量が非常に大きくなり、身体は安定性と静かさを保つことができ、精神面では集中力が高まり、同時に自由な開放感を感じます。」13ページ(中村明一『「密息」で身体が変わる』2006新潮社)

 「密息」は呼吸法というよりも発声法としての意義が大きい。現在、わたしが表現よみのトレーニングで実行している発声法はまさに「密息」なのである。これはまた、野口三千三さんのいう「保息」にも通じるものである。
密息の図
 右の図は前著61ページに収録されている。この中で重要な点が3つある。
 第1は、吐くときに「腹が膨らんだまま」というところだ。これこそ、本来の腹式発声――仮に「腹腰発声」とでもいおうか、その発声法の特徴なのである。
 第2は、「安定感(吐くとき)」である。腹腰発声ができていると声は安定してヒョロヒョロとした震え声にはならない。だが、胸式の発声では声が不安定に揺れるのである。
 第3は、息つぎの速さである。腰から下腹にかけての力を一瞬ぬくだけで鼻から一気に息つぎができるのが特徴である。
 中村さんは声楽の発声を複式呼吸といっているが、本格的な腹式発声は「密息」と同様だといってよいとわたしは思う。(参考=『Web表現よみ入門』の「発声の姿勢と体勢」)
「密息」で身体が変わる (新潮選書)
「密息」で身体が変わる (新潮選書)中村 明一

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stars本来の日本人に気づきます。
stars深くて目からウロコ!しかもすぐ役立つ!
starsこの呼吸法は
stars日本文化の謎解きとして最高!
stars当たり前ゆえに忘れ去られてしまった息遣い

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2007年10月22日

さまざまな朗読パターンの実験「蜘蛛の糸」

 次のような順番で「蜘蛛の糸」の部分を録音してみました。

◎「蜘蛛の糸」の朗読パターン実験
(1)学校風朗読―教科書を読み上げるとき文節で区切って止めを力む
(2)ヒロシ風朗読―悲しみの感情がよみの全体を占めている
(3)講談風朗読―2音節目を強くあげると講談風になる
(4)落語風朗読―講談よりもややくだけた「語り口」である
(5)女性アニメ声優風―口先の発声で鼻にかけると子どものようになる
(6)天に向う朗読―聴き手に聴かせるのでなく自己に陶酔する感じ
(7)テレビ特派員風―遠方の地から放送をつうじて人々に呼びかける
(8)落語風朗読―(4)よりもリラックスして録音したもの
(9)外国人吹き替え風―テレビで外国人の語りを日本語で吹き替える
(10)高低アクセント朗読―高アクセントは女性の場合裏返りやすい
(11)強弱アクセント朗読―男性アナウンサーの声の実質は強弱である
(12)演劇風朗読―地の文もセリフも舞台上のナマの声でよむ
(13)朗読的表現(演劇との比較用)―ナマの声を想像させるセリフの表現
(14)外国映画吹き替え風―外国映画のセリフはフリとしての表現だ
(15)表現的朗読(外国映画吹き替えとの比較用)―セリフのリアリティ
(16)テレビナレーション風―CMなどのナレーションはオーバーだ
12分49秒
朗読実験:渡辺知明

 ひとりの人間の表現ですから、それぞれのよみ方に、わたし自身の個性が出ています。結局、作品の文体に応じて、それぞれの調子を選び出してよんでいることになります。わたしの「蜘蛛の糸」の総合的なよみは、こちらからお聴きになってください。●「蜘蛛の糸」(Blog表現よみ作品集)
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2007年10月21日

朗読における「場面」と「語り手」

 言語理論では発話は脈絡において意味を持つという考えがある。発話の脈絡は次のように分けられる。(下川浩『現代日本語構文法』1993三省堂)

         ┌―言語的脈絡(=文脈)
 発話の脈絡 ┤
         └―非言語的脈絡=(1)場面、(2)文化的・社会的背景

 音声言語として朗読で問題になるのは「場面」である。言語的な文脈は特別な声の表現は必要ない。音声訳やアナウンスでも不十分ながら伝わる。だが、非言語的な脈絡の「場面」は、声で表現せざるを得ない。その原則は次のようなものである。ここに文学作品の「語り手」を声で表現するための基礎がある。(朗読にかかわる要素を太字で示す)

 「話し手/書き手 ・ 聴き手/よみ手が だれで いつ どこで 文章が書かれた/談話(語り)が 行われたか?」(前著108ページ)

 これはオーラル・インタープリテーション(口頭解釈)においても原則とされている。わたしはここから「語り口」の10通りというものを導き出して紹介している。(参考『Web表現よみ入門』の「「語り口」の10種類」)

 作品に的確な「語り口」が設定されて表現されたときに声の表現は実現する。そのとき、それは朗読ではなく表現よみとなっているのだ。
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2007年10月20日

朗読のスタイルいろいろ

 一と口に朗読といってもいろいろなものがある。だが、その特徴はいくつかのスタイルに分類することができそうだ。思いつく限り、コメントをつけて紹介しておこう。これらのスタイルのうちには、作品に応じて生かすべきものもある。

 本来の朗読の目標は、ただ単に文字から受け取れる情報を伝えるだけではなく、文体の感情まで表現することである。文学作品のテキストの「語り口」の再現である。「おや、ヘンな感じだ」と思う朗読は、たいてい作品の「語り口」をとらえ損なっているのである。

・学校よみ―文節ごとにぶつ切りにして末尾で力む。文としての意味がつながらない。
・ヒロシよみ―お笑いのヒロシや有名女優Yさんののように常に声が感情的に泣いている。
・講談よみ―よみだしの2音節目を強める。セリフが型にはまっている。
・落語よみ―ゆったりと語る口調。講談よりもネバリがある。
・アナウンサーよみ―男性アナウンサーの場合、地声一本やり。プロミネンスがない。すべての音が聞こえすぎる。
・高低アクセントよみ―女性アナウンサーの場合、高アクセントがウラ声がかってしまう。これは宿命的なものだ。
・ナレーターよみ―テレビCMのナレーションのようなオーバーアクションの表現。作品の「語り口」と関係ない表現。
・ドキュメンタリーよみ―テレビで外地の特派員の語り口。遠くから呼びかける声。
・天に向かったよみ―教会の聖書朗読のようなよみ。聴き手に聴かせる意志のない声。
・外国人吹き替えよみ―外国人のコメントを紹介するときの吹き替え。早口で無感情。波打つような滑らかな口調。
・アニ声優よみ―女性の声優のブリッコ声が鼻にかかっている。タレントのMちゃんが典型。
・演劇よみ―舞台俳優がハイテンションで読み上げるのでセリフは総てナマ声の舞台セリフ。
・外国映画吹き替えよみ―友近さんがマネている型にはまった感情表現の声。驚いた、怒った、泣いたフリの表現。

 これらのスタイルが無自覚に朗読に持ち込まれている。コメントだけでは分かりにくいところもありそうなので、近日中に芥川龍之介「蜘蛛の糸」をテキストにして実験的な録音をしてみようと思っている。
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2007年10月11日

貫地谷しほりの「青空のルーレット」での朗読力

 映画『青空のルーレット』にヒロインに貫地谷しほりが出演している。また、ちょうど今、NHK朝のドラマ「ちりとてちん」にも登場するようになった。わたしは貫地谷が落語家になる女性の役だと知って、言語表現力に大きな期待をしている。

 というのは『青空のルーレット』の試写を見て感動したからだ。貫地谷の役は聾唖の女性の役である。ナレーション代わりの日記の読み上げはあるがセリフはない。もっぱら表情と動作による演技だ。これがよかったのはもちろんである。けなげな少女の感情を見事に表現した。

 だが、それ以上に感動したのは、手紙をよみあげる声の表現力であった。朗読などではないし、「語り」でもない。自らの思いを表現する声の力は感動のひとことである。この映画、貫地谷の手紙を聴くだけでも価値のある作品である。(2007年11月3日より公開。映画『青空のルーレット』公式サイト)
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2007年10月04日

「朗読賞」は成り立つか?

 「お話しPod&ラジオデイズ朗読賞2007」の募集がスタートしている。お話しPodラジオデイズに、募集要項がアップされている。

 ところで、朗読の良し悪しというものは評価できるのだろうか。
朗読がただ単に声に出してよむという行為であるなら、それはどうでもいいかも知れない。しかし、書かれた文字を声にすることは、一種の表現になるわけだ。良し悪しでなくても、好き嫌いでもいいが、それも評価の一種になる。

 ここ数年、朗読はブームになりかけた。だが、すぐに頭打ちになった。というのも、朗読の良し悪しというものが問われなかったからだ。頂点ともいえる到達目標があれば、その高みを目指して精進するという可能性も出てくる。だが、「そんなこと、だれでもできるよ」というものであるなら、すぐに熱は冷めるであろう。

 声に出してよむという行為を一括して「音読」という。音読にもいろいろある。その表現性を軸にすると、次のような並びになるだろう。

  音声訳(音訳)→朗読→表現よみ→語り

 わたしはさらに文字の音声化の原理としてのよみを付け加えたい。それは、今、わたしが「表現よみ」として実践しているものである。作品の音声化ということではなく、この理念が、文字言語と音声言語を媒介するものだろうと考え始めている。

 実践的な表現よみを表現よみ1というなら、これは表現よみ2と呼びたい。じつは、朗読の評価というものも、この理念を基礎にしないと出てこないものなのである。

 そんなむずかしいことを言ってみても、具体的な朗読は個々人のよみによってしか表現されないのである。応募作品はすべてお話しPodでポッドキャスティングされるということなので、朗読賞の盛り上がりが楽しみだ。これまでに聞けなかったような声の表現が登場することを期待している。
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2007年10月01日

古典文学には強弱アクセントが必要だ

 わたしの提唱する表現よみの方法で、いくつかの古典文学のよみにとりくんでいる。参考にしているのは、藤井貞和『古典の読み方』(講談社学術文庫)である。藤井氏は、古典文学の解釈で重要なのは、助動詞と助詞であると書いている。
古典の読み方 (講談社学術文庫)
古典の読み方 (講談社学術文庫)藤井 貞和

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 また、次のように耳でよむことの重要さをあげている。
「現代人は、文字を読むことが普通のことになっているために、文学が、もともと耳で理解されるためのものであり、文字というものは、仮に紙の上に書き表したものであること、だから文字で書かれていても、それは聴覚の世界へ引き戻して読まれるべきものだ、という大原則を忘れがちである。」(82ページ)

 わたしは、さらに強弱アクセントを聴くことの重要性を加えたい。藤井氏があげている、助動詞「なり」については、伝聞と断定の二つの区別がある。この区別は、文字づらからは判断できない。伝聞の場合は「り」にアクセントがつく。断定の場合は「なり」となる。

 藤井氏の解説の「なり」について強アクセントを太字の赤色で表示すれば次のようになる。

「伝聞の「な」は活用する語の終止形につく。活用する語が終止形と連体形とでかたちがちがうばあいには、伝聞の「な」か断定の「り」か、一目瞭然である。活用する語が終止形と連体形と同じかたちの場合、「なり」は伝聞のそれか、断定のそれか、外見からの判定ができない。」

 この場合、断定のアクセントは高低でもつけられるが、伝聞の「り」には高低アクセントではつけられないのである。どうしても強弱アクセントが必要になる。現代文の伝聞「そうだ」も高低アクセントで「そうだ」と「そ」を高くするのなく、「だ」を強アクセントにして下げないと発話者の実感が表現できない。

 古典文においては、見かけによる意味の区別だけではなく、音声としての区別までが重要である。そのためには、声の表現による確認が必要なのである。
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