まずはお読みください。以下のセンテンスはわずか三つです。それをどのようにつないでいるか意識しながらお読みください。
「小説や文章の原稿依頼は前作が候補になったあたりからそんなに変わらずに、直線が先の方まで伸びてゆく、といった感じでしたが、さすがにこのたび芥川賞を受賞して、取材のご依頼などなどが集中して、この1ヶ月は多い日で一日で五件とかをほとんど毎日繰り返し、そして短編、コメント、朝起きてエッセイやそれにまつわるゲラの見直しなどをして、こういうのを多分「忙しい」というのだと思うのだけれど、実感としては、何かとてつもなく巨大なものが巨大な足を一歩踏み出して、ぶんと時間をひとまたぎ、それを下から見上げてた、というような感じであって、誰が何をしていたのかが、はっきりと思い出せないような、区切りのない激しい一ヶ月でした。
毎日大変でしょうよとお気づかいもいただくけれど、作品はすべてそれを受け取ってくれる人のためにあるというのも真実の一場面。なので、本を作った、そしたらそれを届けるためのなんやかや、いわゆる宣伝活動は、むしろわたしが身を置いていた音楽活動の現場では当たり前のことであったからまったく大変ではなく、すべて有り難いことなのだけれど、しかし思えば音楽の場合は数ヶ月かけてアルバムを作ったら、ライブやもろもろの活動はあれど、とりあえず録音作業からは距離をおけるけれど、文章は書き続けなければならない。そこが大きく違うところで、そっか、皆さんそこんところを大変でしょうと言ってくださってたのかと思ったり。たとえば作品を通底するテーマ自体に変化はなくても、枚数や文字の形や、紙なのか画面なのか、いわゆる形式によって、現れてくる文章の性格や表情はがんがんに変わるものだけれど、人に届けるための活動においての感情や体の反応を一つ取ってみても、形式という他者によって実感も変わるものだなあーと改めて感じた次第。」
「蛍の墓」を書いた野坂昭如の文章を思い起こさせます。一見、複雑なようですが、一つの「芸」の世界といったらよいでしょう。
ちなみに、文章を接続語で区切って論理を明解にしてみると次のような文章になります。そして、論理的な誤りや無理な言い回しも見えてきます。しかし、この人の文章がどのような「芸」によって成り立っているかということも分るでしょう。(接続語は太字で示します)
「小説や文章の原稿依頼は前作が候補になったあたりからそんなに変わらずに、直線が先の方まで伸びてゆく、といった感じでした。
だが、さすがにこのたび芥川賞を受賞して、取材のご依頼などなどが集中した。
そして、この1ヶ月は多い日で一日で五件とかをほとんど毎日繰り返した。
そして、短編、コメント、朝起きてエッセイやそれにまつわるゲラの見直しなどをした。
そして、こういうのを多分「忙しい」というのだと思うのだ。
けれど、実感としては、何かとてつもなく巨大なものが巨大な足を一歩踏み出して、ぶんと時間をひとまたぎ、それを下から見上げてた、というような感じであった。
そして、誰が何をしていたのかが、はっきりと思い出せないような、区切りのない激しい一ヶ月でした。
毎日大変でしょうよとお気づかいもいただく。
けれど、作品はすべてそれを受け取ってくれる人のためにあるというのも真実の一場面である。
なので、本を作った。
そしたら、それを届けるためのなんやかやがあった。
(このような)いわゆる宣伝活動は、むしろわたしが身を置いていた音楽活動の現場では当たり前のことであった。
だから、まったく大変ではなく、すべて有り難いことなのだ。
けれど、しかし、思えば音楽の場合は、数ヶ月かけてアルバムを作ったら、ライブやもろもろの活動はある。
けれど、とりあえず録音作業からは距離をおける。
けれど、文章は書き続けなければならない。
(つまり)そこが大きく違うところで、(ある。)
(それで)そっか、皆さんそこんところを大変でしょうと言ってくださってたのかと思ったりした。
たとえば、作品を通底するテーマ自体に変化はなくても、枚数や文字の形や、紙なのか画面なのか、いわゆる形式によって、現れてくる文章の性格や表情はがんがんに変わるものだ。
けれど、人に届けるための活動においての感情や体の反応を一つ取ってみても、形式という他者によって実感も変わるものだなあーと、改めて感じた次第である。」
接続語というものは、ただ単に文をつなぐのではなく、論理的な関係を示すものです。わたしは、接続語の構造を11通りに分類して体系化している。そして、「文章トレーニング」を工夫して文章通信添削講座を開いています。(参考「接続語の論理機能一覧」)
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