第7回は天に向かう声の朗読です。このよみかたの聞き手はいません。というよりも、「天」あるいは「神」に向かって読むと言ったらよいでしょう。あまりに聞き手を意識してしまうと、おとな向けの読み聞かせのようになってしまいますが、このように聞き手を無視してしまうと、また問題です。
このよみ方には、ある種の自己陶酔感があります。じつは、朗読のよみ手はうっかりすると自身のよみにうっとりしてしまう傾向があるのです。そこから、よみ手の「気どり」も感じられます。パフォーマンスとしての朗読は、よみ手の表現意欲を満足させてくれるものなので、ついきれいな衣装を着たりして張り切ってしまいます。
まず、わたしのよみをお聞きください。
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それでは、こんなよみ方がクセになってしまっている人は、どうしたら、そこから脱することができるのか、考えてみましょう。
(参考=『Web表現よみ入門』の「「語り口」の10種類」)
(1)朗読は自身の声やことばを聞かせるのではないことの確認
(2)作品の語り手がだれに向かって語っているのかの検討
(3)よみ手が作品を内容を理解しつつ読むという意識の重視
「蜘蛛の糸」が、もし西洋風の話ならば、このよみ方もそうおかしくないのです。このよみ方に最も適しているのが「聖書」です。それも、文語訳の聖書ならばぴったりです。わたしもいつか録音したいと思っています。よみ方の技術とは、それがクセではなく、もっともふさわしい「語り口」に応用される場合をいうのです。
(つづく)