第6回はテレビ特派員風の語りです。「まさか、こんな朗読をする人はいないだろう」と思われるかも知れません。しかし、本質は「聞き手意識」と「語り」の問題なのです。とくに、人まえで朗読をするときに、読み手は、聞き手にどういう意識で向き合うかということです。
表現よみの理論には「聞き手ゼロ」というものがあります。読み手が目の前の聞き手を意識したとき、どうしても「読み聞かせ」のようなよみ方になりがちです。作品を表現するというよりも、声を音として聞かせるつもりになります。その典型的なものがテレビ特派員風の「語り」で、多かれ少なかれ「読み聞かせ」には見られる傾向なのです。
まず、わたしのよみをお聞きください。特派員は外国にいるのですから、はるかかなたの日本に呼びかけるという口調になります。
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現場の聞き手に聞かせることを意識すると、どうしても作品そのものの「語り口」が失われます。そのためには次のような項目を検討します。(参考=『Web表現よみ入門』の「「語り口」の10種類」)
(1)作品の「語り手」はだれか?
(2)作品はだれに向かって語られるのか?
(3)作品はどのような状況で語られるのか?
「蜘蛛の糸」の場合、後半、「さて、こちらは地獄の底の血の池で、……」というくだりは、文章上では、特派員のように読めるかもしれません。しかし、そもそもこの作品は仏教説話であり、説経節のような「語り口」なのです。ですから、それを無視して特派員風のよみにしたら作品はぶちこわしです。
(つづく)