2007年10月28日

朗読批評講座(2)ヒロシ風の根拠と対策

 このシリーズのきっかけは、「蜘蛛の糸」をテキストにして朗読の実験的なパターンを16通り録音してみたことです。そして、わたしの「蜘蛛の糸」のよみをまとめとして示しました。

 今回は、ヒロシ風の朗読がどこから生まれるかという根拠をとりあげます。ヒロシとは少し前に「ヒロシです……」で知られたお笑いタレント斉藤健一(本名)さんのことです。

 朗読というと、ある種の固定した先入観があります。それでよみ手の心情が固定されます。最初から終わりまで一つの心情で読みとおすのが「ヒロシ風」です。ヒロシは「悲しみ」の心情ですが、ほかに「気どり」や「煽り」や「脅し」などがあります。朗読活動で有名な女優のYさんも「ヒロシ風」の例です。

 まずは、わたしのよんだヒロシ風の「蜘蛛の糸」を聴いてもらいます。

 どうしてこうなるのか、それにはいくつか理由があります。
(1)朗読というものはこういうよみ方だという先入観―気取ったよそ行きの心情
(2)作品の表現する心情が把握できていない―作品全体のムードで全体の心情を確定してしまう
(3)作品の心情表現の構造が理解できていない―作品の「語り手」は原則として内容に対して中立的な立場をとる

 部分的にヒロシ読みになるのは、語句の表面的な意味に引きずられるからです。「悲しい」とか、「楽しい」とか、「うれしい」とか、単語のレベルで心情を表現してしまいます。

 どうしたらいいのでしょうか。作品において心情を表現するべき部分を定めることです。
 第1に、作品の「語り手」をとらえることです。作品の文体は書き手の想定した「語り」の場があります。ダレガ、イツ、ドコデ、ダレニ―という要素が基準になるのです。
 第2に、作品の文章における心情表現の部分を見分けることです。心情表現には「語り手」のものと「人物」のものがあります。その心情にはちがいがあるのです。
 第3に、一つ一つの文において、心情表現のプロミネンスをとらえることです。心情は単一ではなく、強いところと弱いところがあります。心情の表現とは強弱をつけることなのです。

 以上のポイントについては、『Web表現よみ入門』の「3 語り手の声・人物の声」を参照ください。
posted by 渡辺知明 at 18:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 朗読批評講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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