◎「蜘蛛の糸」の朗読パターン実験
(1)学校風朗読―教科書を読み上げるとき文節で区切って止めを力む(2)ヒロシ風朗読―悲しみの感情がよみの全体を占めている
(3)講談風朗読―2音節目を強くあげると講談風になる
(4)落語風朗読―講談よりもややくだけた「語り口」である
(5)女性アニメ声優風―口先の発声で鼻にかけると子どものようになる
(6)天に向う朗読―聴き手に聴かせるのでなく自己に陶酔する感じ
(7)テレビ特派員風―遠方の地から放送をつうじて人々に呼びかける
(8)落語風朗読―(4)よりもリラックスして録音したもの
(9)外国人吹き替え風―テレビで外国人の語りを日本語で吹き替える
(10)高低アクセント朗読―高アクセントは女性の場合裏返りやすい
(11)強弱アクセント朗読―男性アナウンサーの声の実質は強弱である
(12)演劇風朗読―地の文もセリフも舞台上のナマの声でよむ
(13)朗読的表現(演劇との比較用)―ナマの声を想像させるセリフの表現
(14)外国映画吹き替え風―外国映画のセリフはフリとしての表現だ
(15)表現的朗読(外国映画吹き替えとの比較用)―セリフのリアリティ
(16)テレビナレーション風―CMなどのナレーションはオーバーだ
12分49秒
朗読実験:渡辺知明
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ひとりの人間の表現ですから、それぞれのよみ方に、わたし自身の個性が出ています。結局、作品の文体に応じて、それぞれの調子を選び出してよんでいることになります。わたしの「蜘蛛の糸」の総合的なよみは、こちらからお聴きになってください。●「蜘蛛の糸」(Blog表現よみ作品集)
やはりヒロシ風、どこでも悲しく語るのでそれが可笑しさになってますね。
いろんなメディアを通して、作られてきた語りの文化があるとおもいます。それがまた文字に記されるわけですね。
もともと言葉が記されたはずの文字を、もとの言葉に戻すことが大切なのに、いわゆる朗読とはこういうものだ! みたいな固定概念があって、たいていの人はそれから脱却できず、面白さを知る手前で、静かな朗読ブームは過ぎ去ったような気もします。
わたしの周囲にも朗読の固定概念である「音読」止まりの方も多く、やはり表現や語り口の多様性までは発揮できていないようです。聴いてて楽しくないんですよね。たぶん語り手が楽しんでないからだとは思いますけれど。
最初にことばありきで、それが文字に記されたこと、それを再び元のことばに戻す、やはりこれは朗読の基本なんですね。
「ヒロシ風」はお笑いのヒロシですが、一般の朗読でも、ある種の感情でよみを固定してしまう傾向があります。「無感情の感情」というようなものがありそうです。それが妙に沈んだ陰気な印象を与えます。
ただ、このような実験はパロディのようなものになりがちで、それぞれの作品のテキストにふさわしいよみ方というものがあります。わたしのよみの全体を聴いて頂くと、どの技術がどこで使われたのか理解いただけると思います。
ご感想がいい刺激になりました。
朗読のパターンというものは、そうたくさんは
ないものです。
これからそれぞれのよみのパターンについての
各論をまたアップしようかと思います。
また、ご意見をお聞かせください。