古典の読み方 (講談社学術文庫) | |
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また、次のように耳でよむことの重要さをあげている。
「現代人は、文字を読むことが普通のことになっているために、文学が、もともと耳で理解されるためのものであり、文字というものは、仮に紙の上に書き表したものであること、だから文字で書かれていても、それは聴覚の世界へ引き戻して読まれるべきものだ、という大原則を忘れがちである。」(82ページ)
わたしは、さらに強弱アクセントを聴くことの重要性を加えたい。藤井氏があげている、助動詞「なり」については、伝聞と断定の二つの区別がある。この区別は、文字づらからは判断できない。伝聞の場合は「り」にアクセントがつく。断定の場合は「なり」となる。
藤井氏の解説の「なり」について強アクセントを太字の赤色で表示すれば次のようになる。
「伝聞の「なり」は活用する語の終止形につく。活用する語が終止形と連体形とでかたちがちがうばあいには、伝聞の「なり」か断定の「なり」か、一目瞭然である。活用する語が終止形と連体形と同じかたちの場合、「なり」は伝聞のそれか、断定のそれか、外見からの判定ができない。」
この場合、断定のアクセントは高低でもつけられるが、伝聞の「り」には高低アクセントではつけられないのである。どうしても強弱アクセントが必要になる。現代文の伝聞「そうだ」も高低アクセントで「そうだ」と「そ」を高くするのなく、「だ」を強アクセントにして下げないと発話者の実感が表現できない。
古典文においては、見かけによる意味の区別だけではなく、音声としての区別までが重要である。そのためには、声の表現による確認が必要なのである。