2007年09月15日

「朗読」と著作権の問題(5/6)

 こがわ法律事務所Webnotesで「朗読と著作権」全4回の記事が掲載された。法律の専門家の方がこの問題について書いてくださったのがじつにありがたい。わたしも下書きを書いて準備していた。そこで抱いた疑問の多くは解決した。
 まだ書くことがあるかどうか、まずは、こがわ氏の記事から学びながら、コメントをしたい。そのあとで、発言したいことがあればまた書きこもうと思う。

 今回は「朗読と著作権(2)」についてのコメントである。(こがわ氏の解釈をさらにわたしなりに解釈している。ここに示した見解の責任はすべてわたしにある)
 
●「朗読」の二種類と「口述権」

 こがわ氏は「朗読」を二つに分けている。a単なる口述としての朗読、b創作性をもつ朗読、である。そして、bは「上演」の権利を適用すべきだろうし、aは「原著と独立した著作物性を取得しない朗読」であるから、あえて言うなら「口述」の対象だという。にもかかわらず、それが原著作物の「複製」であるとはいえない。その理由として、「朗読を聞き通すのは時間と集中力が要求されるので、朗読の録音を本の代わりにする」のはムリだという。

 わたしは「朗読」の特殊性は、情報のメディア間の移行にあると考える。つまり、著作物は文字メディアであるが、朗読は音声メディアである。「複製」にはメディアの移行はない。書物のコピーは文字メディアから文字メディア、音楽の「録音」も音声メディアから音声メディアである。だが、朗読では、文字メディア→(よみ手の介在)→音声メディアという変更がある。その中間によみ手が介在する。これは「複製」とはいえない。わたしはどのようなよみであっても、メディアの変更に介在するよみ手は表現者だと考えるのだ。

 はたして著作物の「複製」といえるような「朗読」があるか。これまでの法律の解釈では、「朗読」そのものの意味がアイマイなのだ。たとえ、「朗読」のうちでもっとも表現性の少ない「音訳(音声訳)」を著作物の「複製」だといっても、メディアの変更があるのだからそれはムリだ。また、「音訳」と「朗読」との区別はできない。明確さを求める法律的な区別である。近ごろの音訳は、以前のように句読点や表記記号までをよみあげるようなものではない。より表現性ないし創造性のあるよみに移っている。

 こがわ氏の結論は次のようなものだ。
 「朗読」は著作物の「複製」ではなくて「口述」の問題として考えるべきだ。(20050802初公開=つづく)
ラベル:朗読 著作権 延長
posted by 渡辺知明 at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作権延長と朗読 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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