2007年09月06日

「朗読」と著作権の問題(4/6)

●著作権保護の大前提

 著作権とは何か、なぜ著作権が保護されるべきかという根本問題があります。これには二つの大前提があります。一つは社会的な問題、もう一つは個人的な問題です。この両者の利益を保護するために法的な調整が必要なのです。
 第1は、文化の発展のため、第2は、著作権者の権利の保護です。

 わたしは、著作物の一部の「朗読」をインターネットで公開することが、はたして著作権の侵害になるのかどうか疑問をいだいています。結論としては、わたしの行為は文化の発展になるし、著作権者にとっても利益になると思うのです。

 まず、第1に、著作権による社会の発展という問題です。朗読についても、社会の発展のために、著作物が読まれることを期待したいと思います。福井健策『著作権とは何か』(集英社新書)で、著作権の大前提を「はじめに」で「芸術文化活動が活発に行われるための土壌を作ることだ」(9ページ)としています。

 また、あとがきでも「著作権については近時、従来の文化振興という側面のほか、産業を保護という側面が重要になってきたという指摘もありますが、本書ではあえて「豊かで多様な文化の創造と、人々のそれへのアクセスをどう守るか」という視点にこだわりぬいてみました。」(209ページ)とあります。

 つまり、著作権の問題は、今後の朗読をはじめとする言語の文化問題にとって、いろいろな意味があるということです。わたしは著作物について自由に朗読をできるようにしたいと思うのですが、それは決して「産業を保護」を侵すものではありません。それどころか、むしろ出版産業の発展にもつながるはずです。

●「インセンティブの付与」と「フェアユース」

 第2に、著作権所有者の権利が守られるという原則です。その考えのひとつは「インセンティブの付与」です。他人が作ったものの真似をすることで、人々が創作意欲をなくしてしまうことを避けるためというのです。

 ところが、今、著作権の保護期間50年を70年にするという動きがあるそうです。青空文庫の「青空の行方」でも、せっかくこれまで公開してきた太宰治などの著作の公開がどうなるか危惧しています。著作者の没後50年もたったら著作権者は当人ではない。そのようにして保障された著作権が、あらたに創造的な活動の刺激になるかどうか、たしかに問題になることです。

 それに対して、著作の利用者の側の「フェアユース」という考え方があります。「適正使用」とでも訳したらよいのでしょう。福井健策『著作権とは何か』(集英社新書)で紹介された『プリティ・ウーマン』事件(169ページ)で認められました。詳しくは省略しますが、著作物の利用の自由が広がりと「文化振興」という公共の利益を保証するものです。

 福井氏の著書では「フェアユース」の成立する条件として、次の4項目を挙げています。(171ページ)
 A「利用の目的と特徴」
 B「利用される作品の性質」
 C「利用された部分の量・質」
 D「オリジナル作品に市場でダメージを与えないか」

 わたしがいま、現代の著作を「朗読」してインターネットで公開していることについては、Dについてはまったく問題になりません。刊行された著作の朗読がオリジナル作品の販売を減らすようなことはありません。逆に、インターネットで著作の一部が読みあげられることによって、著作の宣伝効果が上がるというプラスの効果があります。実際に、わたしが読みあげた著作の販売部数が上がったという実例があります。また、わたしのような活動をする人が増えることによって、朗読の文化が盛んになり、読書をする人が広がり、著作物の販売も盛んになることでしょう。(初公開07.7.27/つづく)

※ 前回、紹介した法律の専門家の方が、さらにくわしく「朗読と著作権」について発言をつづけてくださるとのことです。今後の展開に期待します。
posted by 渡辺知明 at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作権延長と朗読 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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