2007年08月28日

「朗読」と著作権の問題(2/6)

●現代著作の「朗読」についての提案

 はじめに
 ポッドキャスティングが日本でも注目され始めています。アメリカでは2000万人以上の人口があります。音楽ばかりではなくオーディオブックと呼ばれる講演や朗読なども聴かれているそうです。今後、日本でポッドキャスティングが発展するためには問題があります。「朗読」など聴くべきソフトの少なさです。とくに現代著作が欠けています。

 わたしがケロログで「Blog表現よみ作品集」を公開しているのは、将来のポッドキャスティングの発展を見込んでのことです。多くの人たちにさまざまな作品を聴いていただきたいと思っています。最近、わたしと同じように「朗読」のファイルを公開する人たちも出てきています。

 ところが、日本では著作物の権利について堅苦しい原則があります。「没後50年を経ない著作物は読めない」という単純なものです。それは「朗読」についての正当性を欠いた解釈です。わたしはいろいろ考えることがあります。しかし、それは今後、書いていくこととして、いま行われている「朗読」の公開をすすめるための実践的な提案を示しておきます。

 「朗読」はひとつの表現行為です。著作物の「複製」ではありません。また、著作物の「口述」でもありません。著作物とは別の次元の新たな価値を生みだします。著作物の代わりになるものではありません。ですから、著作物と競合して著作物の販売を阻害することはありません。

 この考えから、没後50年を越えない作品を「朗読」公開する場合の原則を考えます。これはインターネットでの「朗読」ファイルの公開を考慮したものです。営利を目的としない朗読会などについても、一時間に満たない作品をよむ場合など、これに準じた条件が考えられるでしょう。

 大前提は、「刊行された著作の販売など著作権者の利益を侵害しない」ということです。多くの場合、著作は特定の一つの出版社から刊行されますから、その場合は下記の原則で問題ないでしょう。

 ただし、没後数十年を経て、いくつもの著作物のかたちで刊行されいる作品の場合は表示がむつかしくなります。もしも著作権管理の協会などができるなら、そこが作家と作品について刊行著作の管理をすればよいでしょう。たとえば、○○という作家の△△という作品なら、どことどこの出版社から出ているということです。そこに表示する著作物はその時点で入手可能のものとなるでしょう。

 (1)著作物の10分の1以上は読まない―長編の場合はもちろん、短編集もこの原則で行けるかと思います。詩や短い作品の場合でも、著作全体との比率では全文をよめるようにしたい。
 (2)「朗読」には著作情報を付加する―a著者名、b著作名、c出版社名、d刊行年月日、e著作物の画像(可能な場合)
 (3)録音ファイルへも情報を付加する―インターネットでの公開の場合は、できるだけ(2)の条件を録音ファイルへ付加する。あるいはファイルの出所をたどって条件を確認できるようにする。
 (4)執筆者ないし出版社への通知をする―通知を受けた出版社は通知を受けたことの旨を返信すると共に、著者へもそのことを通知する。

 以上の原則を守ることで、「朗読」をする人たちにとっては積極的に新著作を買おうという行動が生まれるし、著作者にとっても宣伝としての効果があります。もしかしたら、出版社の宣伝よりも効果的な「口コミ」として宣伝になるでしょう。また、著作物については、絶版になっているものもあります。それらを再発掘するためにも有効だと思います。(初公開2005/07/17)(つづく)
ラベル:朗読 著作権
posted by 渡辺知明 at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作権延長と朗読 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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