これから6回にわたって、この問題について書きたい。わたしが参考にするのは、福井健策『著作権とは何か―文化と創造のゆくえ』(2005.5.25集英社新書)である。すばらしい本だ。既成の法律の解釈を振り回すのではなく、社会の発展という一つの理想のもとで著作権の問題を検討している。わたしが示唆されたことがたくさんある。この本を片手に「朗読」と著作権について、わたしの考えを論ずることができそうである。
著作権とは何か―文化と創造のゆくえ (集英社新書) | |
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●「朗読」の著作権問題とは?
現在、「朗読」の活動をしている人たちにはいろいろな不便がある。だが、多くの人たちは、仕方がないというあきらめの気持ちでしたがっている。せっかく「朗読」がブームとなっているのに、今後さらに文化として発展するためのさまたげとなっているのだ。
たとえば、「朗読」の発表会をするときなど、著作権者に問い合わせて、許可を受けたり、ときには「著作権使用料」を支払ったりしている。これが果たして「朗読」にふさわしいやり方なのだろうか。これは戯曲の上演のやり方である。それが負担に感じられる。その結果、著作権が切れたとされる没後50年をすぎた作家の作品を選んで発表会に望むことになる。現代作家の作品が自由よめない。だから「朗読」の会には若い人たちが集まらない。「朗読」を聴く世代が高齢化することにななる。
また、視覚障害者のための音訳(音声訳)におけるバリアがある。これまで蓄積された音声訳の録音は厖大だろう。ところが、著作権の解釈によって健常者はいっさいこれを聴くことができない。バリアフリーといわれる時代にこのありさまである。さらに、この考え方が一般の「朗読」においても慣例となっている。それが文化としての「朗読」の広がりを阻害している。
わたしが検討したいことはいろいろある。まず、「朗読」について、これまでの著作権の理解や解釈が当てはまるのかどうか。どのような解釈が「朗読」の著作権にふさわしいのか。今、出版社やマスコミの関係者は、著作権に対してひどく臆病になっている。確固たる理解と解釈のないまま、何となく既成の観念にしたがって行動しているようだ。そのやり方が、不調の読書界の読者数をさらに減少させたり、音声ビジネスの発展をはばんでいるのではないか。「朗読」についての著作権の考え方を変えることが、出版文化を発展させ、そればかりでなく日本の言語文化を発展させる可能性もありそうだ。
思ったよりもまえおきが長くなったのでここで止める。読者にお願いがある。ご意見、ご感想などをいただきたい。「朗読」の著作権に関心を持つ朗読の関係者、出版社で著作権に疑問を抱いている方がた、さらにポッドキャスティングの発展を考える人たちにとっては重要な問題である。この記事へのコメントなり、トラックバックなり、メールなどで、議論に加わって頂けるとありがたい。(初公開2005/07/12)(つづく)
ただ、お金が絡む場合に売り上げのいくらかを還元するというのは、なにかルールが必要かもしれませんけど。出版社はどう思っているんでしょうね。
わたしも単純な原則が好きです。問題が複雑になるのは、
何らかの営利がからんでくるからです。
読み上げの量については著作の引用の原則を
適用したらと単純に考えています。