これは朗読ではない。表現である。既成の朗読とはまるでちがう。文や文章をよみあげて聴かせるのではなく、自らの声で自らの世界を創造しているのだ。わたしは小三治の落語の大ファンであるが、その良さがよみでも表現されている。話し手の声の響きと語られる世界とのあいだにまったく隔たりがない。わたしの師である大久保忠利のスローガンでいう「はいる→なりきる→のりうつる」の境地である。
今、世間ではさまざまな「朗読」がCDとなって発売されている。一年ほど前のアンケート調査では、80%の人が「朗読は金を出しては買わない」という答えであった。それには納得できる。だが、小三治さんのよみなら「朗読」ではないのだから買ってソンはない。上にリンクしたとおり、その後、松本清張「左の腕/いびき」(2003新潮社)も出ているので、こちらも期待できそうだ。