【連載】第26回
●言い切ることの大切さ
困ったことがあります。文章は書き込めば書き込むほどあいまいになってくるものです。たとえば、「何とかのような気がするみたいに思われてくるのであった」というような表現があります。いちばんいいたいのはどこでしょうか。「思うのか、思わないのか」これがポイントです。肯定するのか否定するのか。人は不安があるので、どうしてもこんな表現になります。でも、文章では言い切ることが大事です。ムダを削るというのは言い切ることです。それでも、言い切ると不安なので付け足したくなります。「ただし」とか、「しかし」とか、付け足します。
いちばんよくないのは、「何とかのような……」という書き方です。述部で結ばずに「……」をつけます。わたしは必ず文末まで言わせることにします。Eさんの添削で「終りまで言い切る」と指示したのはよい添削でした。このコメントはよいですね。「何を話題として書けばいいのか……。」――これでは意味がありません。文末をきちんと言い切れば、これに続く文が浮かぶのです。「しかし」なのか、「ただし」なのか、「なぜなら」なのか、「また」なのか、いろいろな文がつながります。
ですから、文末まで言い切ること、これが文による考えの組み立ての基本です。「何が→何だ」「だれが→どうする」という単文で組み立てて、アイマイな文は削ります。これが第一の原則です。
講義レジュメの3(1)の「(1)削る」にある「表現と癖」というのはこのことです。理論文の場合にはそう問題ではないでしょう。しかし、その人のクセなのに面白みの出てしまうダブリが困るのです。この言い回しは書き手が狙ったものなのか、あるいはクセなのか、その判断がむずかしいのです。書き手が狙っている場合もあるのです。ただし、その場合でも、文章をクールに読んで、「あなたは工夫しているようですが、読む人には迷惑ですよ」と判断して、思い切って削るのです。
そのような場合には、先ほど話した「保留」という添削の方法もあります。加えた語句に傍線を引いて、「どうしますか? この表現でいいですか? 別の表現もありますよ?」と知らせるのです。あるいは、カッコをつけて書き手に推敲をすすめるのです。これも、添削が書き手に代わって完璧に文章を直すのではなく、共同で文章を仕上げるという考え方です。書き手に再提出させるなら、それが可能です。それが教育になります。
●ダブリと省略
つぎに二つ目です。文の要素のダブリです。これは削ります。「昔の武士の侍が」とか、「馬から落ちて落馬した」とか、よく例にあがります。それから、主語を入れるか、入れないかの判断です。入れるなら、どこに入れるか、どの位置に入れるかという問題があります。
次にあげた「補足文素の省略と追加」とはこういうことです。文の中で、助詞のついた「……を」「……に」「……と」「……へ」「……で」「……より」「……から」などの要素が省略される場合、あるいは不足する場合です。文がつながるとき、前の文で書かれた要素が次の文で省略される場合があります。あるいは、次の文のどの位置に置くかが問題になります。それを削るか入れるかによって文の表現の意味がちがってきます。
たとえば、こんな文章です。「私はパンを買った。食べてから学校へ向かった。」――この文の流れでは、主文の「私は」は省略されます。また、最初の文の「パンを」は客文素と言います。これも次の文で省略されています。いちいち「私は」「パンを」と入れたらうるさくなります。要するに、文中にあって当然の要素は省略しやすいのです。前の文に書かれていれば、なおさら省略されます。これもエネルギー節約の原則です。その省略をした方がいいのかどうか、これが思案のしどころです。ここに、添削者の読み手としての判断があります。文章読解のセンスが試されるのです。煩わしいと感じるか、なくてもいいと感じるか、それが問題です。添削で時間がかかるのは、削るか削らないかと考えるときです。それを繰り返すのでずいぶん時間がかかるのです。
●教育のための添削
学生向けの添削の場合には、完璧な添削は必要ないでしょう。今、私が考えているのは、学生のための添削、大学という場における添削の位置づけです。大学ではどういう添削が成り立つだろうかと考えています。一般の添削の目的は、文章を仕上げて完成させることです。書き手の成長よりも、文章そのものを仕上げることが目的です。注文した人は、文章が直ってよかったなと文章をよむわけです。また、新聞や雑誌などの添削では、記事が商品として読者に読まれることが目的です。
それに対して、大学の添削では、書き手の能力を高めるという教育が目的です。だから、完璧な添削ではなく、保留をつけて書き直しをさせたり、推敲をさせたりすることに意味があるのです。本人が文章について自覚できるようなコメントをつけることも大切になってくる訳です。前に述べた※の印しや保留の方法も、その一例です。むしろ、保留とコメントあるいは代替案のついた添削の方が教育効果があがるのです。(つづく)