2007年03月31日

声でなぞることの意味―日本語シャドウイングのすすめ

 「声でなぞる文学」として、しばらく朗読の定番の作品をアップしてみようと思う。これまで、わたしの公開した表現よみのファイルを一節ごとに区切って、あいだをあけて、聴き手があとを追ってよめるようにしたものである。最新のものは「セロ弾きのゴーシュ」である。 

 自分でファイルを作成して気づいたことであるが、意外な効果がある。
 (1)たとえ一節でも、あとで自分で声にするのだから、ことばを暗記しなければならない。それで聴き方が変わる。短期の記憶力が高まる。
 (2)声の表現は単なる復唱ではないから、声のさまざまな調子までを聴かねばならない。それがことばの意味だけではなく、声の表現を聴くことになる。そこに含まれる感情までも聴くようになる。
 (3)このような聴き方をして、自らの声で表現するから、声による表現力が高まる。

 そして、おもしろいことは、自らがかつて音声表現した作品でありながら、あらためてことばについての発見があることだ。それがいったい何なのか、まだ明確にできない。だが、こんな繰り返しに意外なおもしろさがあることも確かだ。おそらく、活字の文字を声にするよりも、はるかに心を動かす作用があるのだろう。常に聴くことと読むこととが同時に並行しているおもしろさだ。

 これは外国語通訳者のシャドウイングと同様に、ある個人の日本語と別の個人の日本語との通訳というような作用なのであろう。
posted by 渡辺知明 at 18:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 音声表現 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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