NHKのアーカイブスで40年ほど前のナレーションと現代のナレーションを比較すると、かつては高低アクセントであったものが、現在では強弱アクセントに変化しているのがわかる。現代のアナウンサーで高低アクセスに忠実によんでいる人はほとんど見あたらないくらいだ。
そもそも、高低アクセントが日本語の本質をとらえていないことが問題である。若者たちのアクセントが平板化するというのも、ひとつの原因として高低アクセントの不自然さがある。だが、それに替わるものとしての強弱アクセントがないので、結局、アクセントの平板化や力のない物言いとなるのだ。あるいは、一部の女性アナウンサーのように高アクセントをウラ声で発声することになる。
わたしは最近、古典文学のよみを手がかりに強アクセントの研究をしている。強アクセントには二種類ある。一つは、ノドアクセント、もう一つは、ハラアクセントである。どちらも、発話の意味の正確さを表現するには不可欠のものである。
ノドアクセントは、声としては表面に出ないが、ノドの奥で発声される音(オン)である。その代表例は「……ある」の「る」である。ハラアクセントとは、腹と腰の周辺の筋肉が緊張して出る音(オン)である。この二つの組み合わせで、ほとんど高低アクセントに変わる音声表現ができることがわかっている。
ほかに最近の発見としては、ほとんどの鼻濁音にはアクセントがあるということだ。強く発するべき音(オン)が目立たないように鼻にかけて当たりを柔らかくするはたらきがある。また、一般にイントネーションといわれる音(オン)の変化も、じつは高低の変化ではなく、声を軽くするものだ。それも、修飾語を強調して声を強くしたとき、当たりを強く感じさせないための工夫だと言える。
2007年03月17日
この記事へのコメント
初めまして!日本語、難しいです。外国人が正しい日本語を使っていたりして・・・。正直な所、あまり困らないので、感覚で使っていますが、その、日本人の日本人としての感覚が、変化していると思います。
Posted by やっぱあれ at 2007年03月17日 09:43
コメントを書く
この記事へのトラックバック


