読むというとき、黙読が常識である。だが、黙読といってもいろいろある。わたしはこれまで(1)目(め)よみ、(2)音(おん)よみ、(3)拾いよみ、と3つに区別してきたが、また、別の区分を考えた。
次のようなものである。この区別によって、黙読の読み方が変わるだろう。
(1)目黙読、(2)口黙読、(3)耳黙読
ひとつずつ、説明しよう。
(1)目黙読――「めもくどく」と読ませる。読むには目を使うのはもちろんである。(2)も(3)も目を使う。また、頭を使って文や文章の内容も理解するわけだ。だが、今回の区分では、内容の理解については触れない。もっぱら、よみの形式的な面から考えている。さて、これはもっぱら目ばかりに頼って文字を追いかける読み方で、一般の読書はこの読み方である。
(2)口黙読――「くちもくどく」と読ませる。目の他に、口の周辺の筋肉まで使うのである。声は出さないものの、唇は動くし、舌も動くし、ノドも動く。もっとも重要なのは、声帯の周辺の筋肉の動きである。この読み方に上達すると、実際の発声・発音の訓練になる。しかも、文章の内容の感情表現までともなうのである。旧ソヴィエト連邦の学者ヴィゴツキーという人は、黙読をする人の声帯周辺の筋肉が微妙に活動することを実験で測定しているそうである。
(3)耳黙読――「みみもくどく」と読ませる。これは(1)(2)の基礎の上に築かれる高度な読みである。自分の黙読の声が耳に聞こえるのである。幻聴ではない。これを「音韻表象」という。つまり、目で文字を見て、微妙に口が動き、さらに耳には、文字の一つ一つの音(オン)が、現実の音声のように明確に意識にのぼるのである。ここまでくれば、しめたもので、あとは発声をするだけである。かつて、棒読みであった音読の声が、まったく別人のようなすばらしい表現となるのである。
以上、段階的に述べたが、音読を声の表現に高めるには、実際的に声を出してよみあげる訓練が必要である。そうでないと、耳に聞こえる声を自ら確認できない。実際に表現できた声が、発声・発音のときに、目標とするイメージとなるのである。その意味でも、表現よみの訓練をすることが、黙読の力をアップさせるのである。
2007年03月06日
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