2006年12月13日

『はなしがい通信』242号(2006年9月号)

 一芸に秀でる者はなんとかと言いますが、確かに一流の仕事をする人の考えはすばらしいと思いました。久石譲著『感動をつくれますか?』(角川oneテーマ21)を読んだ感想です。久石氏は映画音楽の作曲で活躍する人です。アニメ映画に関心ないわたしでも、宮崎駿監督「ハウルの動く城」「もののけ姫」などの音楽を担当者だと知っていました。
感動をつくれますか?
感動をつくれますか?久石 譲

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 久石氏はこの本でものをつくる喜びを語っています。ものを作る姿勢には、二つの道があるといいます。(1)自分の思いを主体にして、つくりたいものを作る生き方。(2)自分を社会の一員として位置付けてものづくりをしていく生き方。
 久石氏はもともとクラシック音楽の出身で、(1)の立場から前衛的な音楽の作曲をしていたそうです。しかし、今では(1)と(2)とを統一しながら仕事をしています。「つねに創造性と需要の狭間で揺れながら、どれだけクリエイティブなものができるかに心を砕く」、そして「人に喜んでもらう、人のためになる音楽を作りたい」といいます。
 わたしは若いころ、白樺派の考えを人生の基準にしたことがありました。「自己を生かす」という考えです。自己中心的な考えのようですが、徹底すればいつか「人のため」に転化します。たとえば、世界に不幸な人がいる限り、自分の心が痛むのだから、人のために何かしてやりたくなります。久石氏も、作品の良さがすべてだと考えて、自分の満足のゆく作品をつくることを目指しています。

●作曲の能力とは何か?
 作曲という創造的な仕事にはどんな能力が必要なのでしょうか。久石氏は「作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する」と書きます。そして「感性」と言われるものの95%が「論理性」ではないかといいます。それは「知識や体験などの集積」です。そして、残り5%が「作り手のセンス」「感覚的ひらめき」つまり「直感」だというのです。
 これは現代の若者がタレントを志望する風潮への批評です。若者たちは自分に才能があるかどうかすぐに決定したがります。しかし、才能が95%、知識や体験などに依存すると知ったらどうでしょうか。センスとひらめきだけの才能では、先行き怪しくなるのは当然です。たしかに、「感性」は貴重です。知識や体験などに解消されない才能かもしれません。久石氏は次のゲーテのことばを引用しています。わたしも好きなことばです。
「感覚は欺かない。判断が欺くのだ。」
 ただし、これは偉大な教養人として学識の高いゲーテだから自信を持って言えることばです。
 そこで問題となるのは、直感や感覚をどう生かし、どう育てていくかです。そこに教育の問題があります。久石氏も次のようにいます。
 「最近いろんな人と話していて思うのは、結局、いかに多くのものを見て、聴いて、読んでいるかが大切だということだ。」そして、映画や本などを例にあげて、「さまざまなところにアンテナを張り、たくさん観て、聴いて、読む。行って、やって、感じる。自分に溜め込む知識や経験知の量を、極力増やしていく。」というのです。その結果、「感性」や「直感力」が育つわけです。
 さて、近ごろの若者には、自分の能力を磨こうとせず、ありのままの自分にとどまる傾向があります。能力の不足を感じたなら磨けばいいのです。久石氏の考え方は示唆的です。偶然の出会いすら、自分の成長のための好機とします。そこには自分の能力や自分を固定したものとしない考えがあります。これこそ芸術家である人間の魅力です。
 「僕は『偶然の出会い』を非常に尊重したい派だ。なぜなら、確固たる自分なんかないと思っているからだ。自分の力など絶対的なものではない。さまざまな影響を受けながらものをつくっていく中で、多少『自分らしさ』として浮かび上がってくるようなものでしかない。」、「自分も仕事も感性も、すべて確固たるものなどない」というのです。

●音楽の能力と言語論理教育
 久石氏は、現代の教育についても提言しています。日本と中国の伝統的な音楽の演奏法を比較して、日本人は過去の形を忠実に守っていくものの創意工夫がないといいます。個人の音楽家でも同様です。クラシック音楽のコンクールに入賞した演奏家が、海外のオーケストラに入って伸び悩んでしまいます。
 「譜面どおりに弾いて正確だし、技術もしっかりしている。ところが、自分の音が浮いている。どう演奏していいか分からなくなってしまう。初めて自分の音楽に向き合わなくてはならなくなったときに、目標が見つからないために、どうしたらいいかわからない。」
 現代の教育への久石氏の提言は単純です。
「僕らが今、子ども世代に最も伝えなければならないことは感じ取る心を持つということだ。」たとえば、戦争について考えさせるにも、戦争は悲しい、いけないという「意識を持てれば知識は後からついてくる。」といいます。久石氏は、教育者ではありませんから、「感じる心」を強調するだけで、教育の方法には立ち入りません。しかし、ここまでの考えをたどり直せば、教育の道が見えてきます。
 「感じる心」つまり「感性」とは、95%の論理的な思考と、5%の感覚的なひらめきによって働くものです。これまで日本の教育は「知育偏重」として批判されてきました。そして、「感性」や「情緒」などの心情的な面の教育が強調されてきました。
 今、久石氏の唱える「感じる心」とは、単なる感情ではありません。95%の論理力と5%のひらめきとの統一です。久石氏が「知識」とは言わずに「論理力」を強調したところは、芸術作品の創造者としての久石氏の面目躍如たるものです。
今、教育に必要なのは、断片的に詰めこまれる知識ではなく、現実認識をめざして論理的に働く生きた体系的な知識なのです。それこそ、子どもたちの「感じる力」を育てるものです。
 わたしは以前から、コトバを使って論理的に考える能力をつける「言語論理教育」を提唱しています。コトバと思考とは切り離すことのできません。久石氏も「はじめに」でこう述べています。
 「人間は、ものを考えるという行為を、言葉を介してやっている。」
 創造的な芸術活動は、無から生まれるものではなく、コトバによる論理的な思考活動に支えられています。「感性」や「直感」の土台にはコトバを使った論理的な思考能力があるのです。(過去の「はなしがい通信」)
posted by 渡辺知明 at 09:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 「はなしがい通信」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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