2012年07月17日

2012年07月16日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
現代は益ます文学とは何なのか分からなくなってしまった時代だ。小説だけが文学ではない。詩、随筆などはもちろん、文章そのものの文学的な魅力というものが分かるかどうか。文字の表面的な読みから抜け落ちがちのもの、声とからだを使った朗読で味わい取れるもの、わたしはそれを探求しようとする。 at 07/16 11:08

WATANABE_tomo / 渡辺知明
作品の解釈と朗読の表現とは別物でない。からだが行なうこと自体が表現なのだ。無意識あるいは無心の状態だ。作品を知的に解釈して声に写したのではつまらない。意識はからだが反応したあとから生まれるものだ。実践のためのことばの指示も、ムダな意識を外してからだを動かすために行なうこともある。 at 07/16 09:12

WATANABE_tomo / 渡辺知明
武者小路実篤の文学というと、単純な文で書かれた作品というイメージがある。だが、文学の基本である人物の内面性の的確な表現があるのだ。人物の内面に「はいる」ためにどのような技術があるかというのは記号づけから分かる。「友情」5(新潮文 http://t.co/TaXPMrXl at 07/16 08:44

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の基礎として重要なものの1つはテキストをどう捉えるかという考えだ。文学作品おもに小説や物語であるのを前提として、次のような考え方がある。(1)音に変換するべき文字の並び、(2)放送して伝える原稿、(3)会話を拾い出して演ずるべき台本。それぞれの解釈による朗読のジャンルがある。 at 07/16 07:46

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読において文の意味はどのように理解されるのか。2つの角度の統一にあるだろう。1つは、文の構造の把握―記号づけによる足場づくり、2つは、音声化という身体行動―アクセント、イントネーション、プロミネンスを目標とする音声化である。双方は音声表現という目標において支え合う関係にある。 at 07/16 07:26

WATANABE_tomo / 渡辺知明
体操選手・内村航平の強みは「着地」だ。着地は演技の到達点である。それまでの技がまとまってかたちを成す。朗読にも着地がある。『朗読の教科書』に書いたからだの沈み込みだ。一節ごとあるいは一文ごとの後ろ腰による押さえが表現を生むのだ。文構造で言うなら「くさび形」による意味のまとまりだ。 at 07/16 07:15

WATANABE_tomo / 渡辺知明
一般に朗読でむずかしいのは会話だと思われている。しかし、本当にむずかしいのは地の文の中の内言である。他人に向けるコミュニケーションのことばではなく、自らの意識を自覚するために内面でイメージとして語られることばである。自己確認の言語といってもいい。それは自らの人間性の確認でもある。 at 07/16 00:02
posted by 渡辺知明 at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | Twitter発言「朗読」批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック