2012年07月13日

2012年07月12日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
若い人たちが朗読に感動するのはなぜか。ビジュアル世代というものがありそうだ。メディアの特徴としては、画像がメインで言語音声が補助として加わる。だから画像を切りはなした言語の音声に驚くのだろう。だが、音声中心のラジオで育った世代には、今の音声言語の自立性は不十分に感じられるのだ。 at 07/12 15:28

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読というと、アクセント・鼻濁音・母音の無声化などで神経質になるようだ。それは放送におけるマイクの使い方の技術である。朗読は声を手段として文学作品を理解し表現するものなのだから、そんな細かい技術は無視したらいい。それより、まず重要なのは、読み手が作品と格闘するための声の力なのだ。 at 07/12 12:16

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読は調理に似ている。まず、食材の選び方で料理の仕上がりがほぼ決まる。食材が悪ければ、どんなに手間をかけてもうまい料理にはならない。次は調理法だ。ナマか焼くか煮るか蒸すかの選択は食材による。それから、味付けである。塩味、味噌味、醤油味などいろいろだ。何でもマヨネーズでは困るのだ。 at 07/12 07:35

WATANABE_tomo / 渡辺知明
わたしが野口三千三『原初生命体としての人間』(1972)を読み始めるきっかけとなった記事が見つかった。今から8年前だ。朗読の発声について腹式「呼吸」ではなく、腹式「発声」であるということを書いている。「保息」での発声という考えは新鮮だった。http://t.co/RQ0Ag18Y at 07/12 07:11
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