WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の上達のための方法として有効なのは自分の読みを録音してよく聞くことである。最低30回は聞きたいものだ。1週間くらいは欠点ばかりが耳についてくる。1ヵ月経つといいところも見えてくる。1年経つと総合的な読みの評価ができるものだ。そのころには通算30回の聞き返しができているだろう。 at 07/10 23:49
朗読の上達のための方法として有効なのは自分の読みを録音してよく聞くことである。最低30回は聞きたいものだ。1週間くらいは欠点ばかりが耳についてくる。1ヵ月経つといいところも見えてくる。1年経つと総合的な読みの評価ができるものだ。そのころには通算30回の聞き返しができているだろう。 at 07/10 23:49
WATANABE_tomo / 渡辺知明
日本語の歌詞のある歌なら、メロディーの背後に強弱アクセントのリズムが隠れているのではないか。また、それを生かすことによって「歌心」というものが生まれると思う。強弱アクセントは、まさにアクセントであって、コトバのイントネーションもプロミネンスをも生みだすもとだ。朗読ばかりではない。 at 07/10 19:51
日本語の歌詞のある歌なら、メロディーの背後に強弱アクセントのリズムが隠れているのではないか。また、それを生かすことによって「歌心」というものが生まれると思う。強弱アクセントは、まさにアクセントであって、コトバのイントネーションもプロミネンスをも生みだすもとだ。朗読ばかりではない。 at 07/10 19:51
WATANABE_tomo / 渡辺知明
日本語のアクセントはもとは強弱だったのではないか。また、言語を使用する階級による違いも考えられる。古典文を強弱のみで読んでみると能や狂言などの語りの調子に聞こえてくる。発話者の表現意識も感じ取れる。高低は、のちに声から表現性が失われて伝達記号となったときに成立したのではないか。 at 07/10 07:23
日本語のアクセントはもとは強弱だったのではないか。また、言語を使用する階級による違いも考えられる。古典文を強弱のみで読んでみると能や狂言などの語りの調子に聞こえてくる。発話者の表現意識も感じ取れる。高低は、のちに声から表現性が失われて伝達記号となったときに成立したのではないか。 at 07/10 07:23