2012年07月06日

2012年07月05日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
今、チェーホフ「桜の園」の日本語訳を読み比べている。訳が変わるごとに1つ1つの台詞がまったくちがったニュアンスを帯びてくる。朗読の表現の価値は文体の読み分けにある。翻訳の違う作品が文体の違いによって内容まで変わってしまうという自覚がなければ、文学作品をわざわざ声にする意味はない。 at 07/05 22:12

WATANABE_tomo / 渡辺知明
音楽といってもジャンルは広い。ジャズ、クラシック、歌謡曲、民謡などの全体が音楽である。では、朗読はどうか。実に漠然としている。特定のジャンルが朗読と思われている。音声訳、アナウンス、ナレーション、読み聞かせなどが典型的だ。だが表現としての朗読がある。わたしはそれを表現よみと呼ぶ。 at 07/05 22:10
posted by 渡辺知明 at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | Twitter発言「朗読」批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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