2012年07月05日

2012年07月04日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
宇野重吉の『桜の園』論に書いている。チェーホフがあえて「喜劇」と銘打ったのはめそめそした芝居にさせない予防線ではないかという意味である。朗読でも同様の注意が必要だろう。たとえば「蜘蛛の糸」は「説教節・蜘蛛の糸」とでもしたらどうか。その語り口が生かされる朗読が生まれるかもしれない。 at 07/04 11:11

WATANABE_tomo / 渡辺知明
力のある朗読をするコツは単純なことである。「上体が沈んだときに声を出す。上体が伸び上がるときには声を出さない」。これだけである。ところが、多くの人たちが上体を伸び上げて読むから声が上ずって軽くなる。しかも、そのときのアクセントは、ウラ声がかりのひ弱な高低アクセントになってしまう。 at 07/04 10:18

WATANABE_tomo / 渡辺知明
作品の内容をとらえた朗読をするためには、拙著『朗読の教科書』でとりあげた記号づけが有効だ。黙読の段階から記号をつけながら読むのだ。ただし、すべての記号をつけるわけではない。その人にとって、その部分で意識にのぼった点を記しておくのである。目的も意図もなく記号をつけても意味がない。 at 07/04 10:13

WATANABE_tomo / 渡辺知明
チェーホフ『さくらんぼ畑』のアクセントとイントネーションが問題だ。宇野重吉の解説によるとチェーホフもイントネーションにこだわったそうだ。2音3音区切りのアクセントを片仮名で示すと「さク‐らんボ‐バたけ」となる。しかも「さク」のクは上がる音だ。「さくらんぼの」という修飾語が強まる。 at 07/04 09:40

WATANABE_tomo / 渡辺知明
チェーホフ(堀江新二訳)『さくらんぼ畑』(2011群像社)について、Amazonにおもしろい批評があった。わたしも2012年9月2日(日)のドラマリーディングに使うテキストなので、自分の見解をレビューとして書いた。戯曲の黙読と音読の対立か。http://t.co/tzCHCd2X at 07/04 07:43

WATANABE_tomo / 渡辺知明
9月2日(日)表現よみオーの会で上演するドラマリーディング『さくらんぼ畑』(群像社2011堀江新二氏による『桜の園』新訳)の台本作成に入った。参考書は、宇野重吉『チェーホフの『桜の園』について』(麦秋社1978)である。朗読劇ではない。舞台以上のリアルな人物を声だけで表現したい。 at 07/04 06:50

WATANABE_tomo / 渡辺知明
わたしが表現よみの作品を公開しているメインのページは「表現よみ図書館」である。「朗読から表現よみへ」というスローガンで10年以上公開を続けている。太宰治、梶井基次郎、中島敦、夏目漱石などを中心である。他に「声でよむ名作本」シリーズがある。http://t.co/I2mdoYoj at 07/04 05:50
posted by 渡辺知明 at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | Twitter発言「朗読」批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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