2012年07月02日

2012年07月01日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読することばが意味を持って立ち上がるようすをメルロ=ポンティはこう語る。「私が語を知ってそれを発音するためには、その語を私の心に表象する必要はなく、その語の分節的および音声的本質を私の身体の可能な使用法の一つ、転調の一つとして所有すればそれで十分なのだ。」声が世界を生み出す。 at 07/01 17:52

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読というものは不思議なもので、変に読み慣れている読み方からは少しも感動が得られないことがある。それに対して、アクセントのまちがいがあっても、たどたどしくても、そこから作品の世界が浮かぶような読み方もある。読み手がことばを殺してしまう読み方と、ことばを生かす読み方のちがいだろう。 at 07/01 17:42
posted by 渡辺知明 at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | Twitter発言「朗読」批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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