2012年07月01日

2012年06月30日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
わたしが刊行する「はなしがい通信」でとりあげた竹内敏晴『話すということ―朗読源論の試み』の書評に朗読の基本が書かれていた。自分で読み直して、朗読の本質に触れるいい内容だと思った。また、今では竹内敏晴へのメルロ=ポンティの影響がよく分かる。http://t.co/uADrGmyU at 06/30 21:31

WATANABE_tomo / 渡辺知明
はなしがい通信2008年版(PDF)をアップした。『武満徹エッセイ選―言葉の海へ』を扱った号の中で、拙著『朗読の教科書』で書いたリズム論の原点があることを発見した。4年前のことである。2音3音の日本語リズムもこのころから考えていたのだ。
http://t.co/MLTLr9gb
 at 06/30 19:29

WATANABE_tomo / 渡辺知明
コトバの4原則は朗読の表現にも応用できる。(1)正しく―はっきり、(2)わかりやすく―すっきり、(3)切れ味よく―くっきり、(4)ふさわしく―ぴったり。とくに重要なのが「ふさわしく」である。その作品はだれに何を何のために声に表現しているのか。つまり、「語り手」の設定が根本になる。 at 06/30 17:57

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の聴き方というのはじつはむずかしいものである。まず、大抵の人は文字にも置き換えることのできる音韻レベルの音を聴き取ろうとする。朗読の魅力はそこにはない。音楽を聴くときに楽譜の音符を聞こうとする人は居ない。音符の周りにふくらみを持った響きがまつわりついている。それを聞くのだ。 at 06/30 17:50

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朝の読書にはぜひ音読を取り入れたい。各人個別に自分の本を声を出して読むのだ。読み声はつぶやきの声かノド声である。これでずいぶん声は小さくなる。そして、全員が両耳をふさいで内側から響く自分の声を聴く。自分の声を自分で聴いて自分で考える能力が育つ。その根拠は『朗読の教科書』に書いた。 at 06/30 08:37

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』(2012)に書いた朗読論は、ずいぶん以前から語っていたことだ。2005年から2007年の「はなしがい通信」をPDFで公開している。あらためて自分の朗読論・音声表現論を学び直している。コトバと子どもの教育がテーマなのだ。http://t.co/EVB7mJzL at 06/30 08:29

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読は個人の表現である。群読の場合でも、声をそろえて同じ文を読むことはありえない。声をそろえられるが、イメージも感情も個々人のものだからそろうわけがない。それぞれが自分の表現を捨てて声だけを合わせなければならなくなる。戦時中に流行った群読はそのような人間を作るためのものであった。 at 06/30 00:15
posted by 渡辺知明 at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | Twitter発言「朗読」批評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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