2006年11月12日(日)「筆洗」第2段落の文につまずいた。下記のような内容である。まずは、冒頭から下記の引用部分を読んでほしい。
「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙で落ちればただの人」。戦後の保守合同劇の立役者の一人、大野伴睦(ばんぼく)の言葉だが言い得て妙。だから政治家は選挙で死に物狂いになる▼昨年の衆院選で初当選した「小泉チルドレン」の多くが、郵政民営化に反対し自民党を離党、除名された「造反組」の復党に反対するのも、ただの人になることを恐れてのことだろう。「刺客」として小選挙区で戦った相手が復党すれば、自分の出馬する場所がなくなりかねない(以下略)
わたしが「あれっ」と思ったのは次の下りである。
「昨年の衆院選で初当選した「小泉チルドレン」の多くが、郵政民営化に反対し自民党を離党、除名された」
前段では「選挙で死に物狂いになる」政治家について書かれている。それから「「小泉チルドレン」の多くが」と主語が出てきて、それに続く「反対し」「離党(し)」「除名(され)」という動詞が続くのである。当然、主語に続く動詞を述語として読みたくなる。それで、「おや、小泉チルドレンが、そうなったのか?」と感じたわけである。そこで、わたしは立ち止まって、過去の動乱を思い返して、読み方のちがいに気づいたのである。
音読による文章の理解は語順のとおりに受け入れるものである。このような文章はよみにくい。いい文章というものは、語句の順序どおりにアタマに入るものである。だから読みやすく理解しやすいのだ。しかし、こんな文章にも「記号づけ」をすると理解できる。わたしがおすすめするのは、ヤマカッコである。文中の名詞句にあたる部分を〈 〉でくくるのである。
上に引用した文に記号をつけてみよう。これで文章の構造と意味が明確になる。
「〈〈昨年の衆院選で初当選した「小泉チルドレン」の多く〉が、〈郵政民営化に反対し自民党を離党、除名された「造反組」〉の復党に反対する〉のも、ただの人になることを恐れてのことだろう。」
つまり、主部は「〈昨年の衆院選で初当選した「小泉チルドレン」の多く〉(A)」であり、それに対して「〈郵政民営化に反対し自民党を離党、除名された「造反組」〉(B)」を「(復党)に」で受けている。これを含む全体が「の(こと)」でまとめられて名詞句となっているのである。
つまり、基本の文は、「AがBの復党に反対するのも……」となる。この構造を「、(句点)」で理解させるのにはムリがある。(〈Bの復党〉としてもくくれるが注目部分に限ってくくることにしている)
このヤマカッコは、わたしの記号づけのほんの一例である。哲学書や専門書などには、これよりももっと複雑な〈 〉の構造をもつものがある。それでも、記号をつけながら読めばじつにかんたんに理解できる。みなさんにおすすめすゆえんである。
離党で句点を入れるくらいなら、離党を外して「自民党を除名…」と句点を使わないようにするほうが、まだ分かるかと思いました。ここの説明で大事なのは、もう自民党でない人たち(造反組)であるということですから除名の一言で十分説明できるかと。
確かに、山括弧だと分かりやすくなりますね。
それほどおかしくもないと思います。
離党で句点があるのがおかしいと言いますが、
離党が述語ではないので、当然、句点です。
まず、主語は確定します。
述語が、「・・・・離党。」ならば意味を取り違えますが、「・・・・離党、除名・・・・」ですから、文章は続きます。
たまたま主語になる名詞句が長かっただけですよ。
わたしが根本的な問題としているのは、声でよむ文章としての明晰さです。それが、また、文字としての文章の質をあげることになると思っています。一文字ずつ見ながら、つまり先の文字を見ずによんでいく状態が、声でよみ、耳で聴く、文章の受け止め方です。