東京新聞「言いたい放談」(2006.10.27)で、鴨下信一氏が、最近のアクセントの「平板化」現象について発言している。鴨下氏の発言にはいつもわたしは親しみを感じて読んでいる。今回の発言は、ある番組でベテランアナウンサーが新人の「芝の増上寺」の「芝」のアクセントを訂正したというものである。
鴨下氏は「この芝を芝刈り機のシバと同じアクセントで読んだ」、「地名の芝はバが下がるのです」と書いている。そうして、「そろそろ真剣に平板化の弊害を言ったほうがいい」と提案している。
ほかにも、自分がかつて「鞠子」のアクセントをまちがっていたことにも触れている。地元では「子供の名のマリコと同じアクセントで読む」から、それに従うというのだ。
じつは、わたしは以前から日本語のアクセントは高低よりも強弱であると考えている。そして、最近のアクセントの問題は「平板化」というよりも「虚弱化」であると言いたい。
「芝の増上寺」のシバの強弱アクセントは「シ」にある。強弱アクセントを赤い太字で示せば「シバ」となる。これがなかなか強く読めない。小中学校から日本語の文章を強弱リズムで読んでこなかったからである。力が抜けると「芝刈り機」の「シバ」のように聞こえる。
高低アクセントは、強弱をつける代わりに声の高低で労力を節約したものである。平板化と言われる現象のほとんどが、強弱のつけられない「虚弱化」なのである。ほかにも、よく聴くのが「梨」の例である。高低アクセントでは、「平板」と言われるが、強弱アクセントでは「ナシ」である。「○○梨」というときにはいいが、「梨が」というときには、「シ」に力が入れられずに、「ナシガ」とつい「シ」の音(オン)を高くしがちである。
よく知られる他の例は「熱い思い」の「熱い」である。この強弱アクセントも「アツイ」の「ツ」にある。力が抜けると「厚い思い」のアクセントになってしまう。
アクセントの「虚弱化」への対策は、教育のテーマをもじっていうなら、(1)「息る力」と、(2)「呑みこむ力」である。ここでは要点だけ述べる。(1)腹式の発声で息をコントロールする力、(2)声帯周辺筋を使ったノドの奥での発声方法の訓練である。(わたしのサイト「ことば・言葉・コトバ」を参照)
2006年10月27日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック