2006年10月07日

『はなしがい通信』241号(2006年8月号)

 夏休みに合わせて『ゲド戦記』というアニメ映画が公開されています。たまたま読んでいた本の著者が、この原作者であると気がつきました。偶然のことです。わたしが読んでいたのは、アーシュラ・K・ル=グウィン『夜の言葉―ファンタジー・SF論』(2006岩波現代文庫)です。著者が女性であることも意外でした。SFとは、サイエンス・フィクションの略語で、科学の知識を生かして書かれた虚構の作品です。著者は、『ゲド戦記』に代表される自分の作品を、SFではなくてファンタジーだと主張します。ファンタジーとは。ストーリー性の豊かな虚構の作品です。そして、作品の中心に位置するのは人間であり、人間の存在感を通じて語られる真実だといいます。
夜の言葉―ファンタジー・SF論
夜の言葉―ファンタジー・SF論アーシュラ・K. ル=グウィン Ursula K. Le Guin 山田 和子

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●「子どもと影」の寓話
 この本には十二の講演や論文が収められています。わたしが感心したのは「子どもと影」という講演です。アンデルセンの童話を題材にして人間の自我について論じています。アンデルセンの童話は、こんな話です。

 都会へ出てきた青年が向かいの家の美しい娘を好きになりますが、なかなか声をかけられません。ある夜、ろうそくの火が作り出した自分の影が向かいのバルコニーに届いたとき、青年が「その家へ入れ」というと、影は青年から離れて家の中へ入っていきました。その後、青年には新しい影ができます。年をとるまで勉学に励んでも学者として成功できません。中年になったある日、もとの影が戻ってきます。影は人の弱みにつけ込んで学者を言いなりにします。影が主人で学者は従僕にさせられます。そして、最後に学者は影によって殺されます。

 グウィンは、これを人間の自我の問題として語ります。人は一面では文明化した主人公として振る舞います。「学問があり、親切で、理想を追い、かつ節度を知る人物」です。しかし、影の面として、「主人公の実現されなかった利己主義、許されざる欲望、けっして口にされることのなかった罵り、犯されざる殺人」などを具えています。影とは、「魂の暗い半面であり、許されざるもの、許しがたいもの」です。

 だからといって、影を否定してしまえばいいというのではありません。「この怪物(注=影)が主人公の一部であって、彼と一つのまとまりをなしており、全面的に否定してはならない」。「アンデルセンの物語が言っていることは、自分の影に直面せず、それを受け入れもしない人間は亡者のようなものだ」というのです。
 
●自我と共同体の意識
 影に関する人間の心理が、心理学者ユングの考え方にもとづいて分かり易く解説されています。ユングは「自我」とは「自己」の一部にすぎないと考えます。そして、「自己」とは「個人の所有に帰するものではなく、集合的なもの、つまり私たちは全人類と、そしておそらく全存在とも、この〈自己〉を共有しているのです。」

 今、日本では一人ひとりの人間のモラルの低下が問題になっています。個々の人と公共との関わりは、現代の重要なテーマです。どうしたら個々の人が公共の意識にたどり着けるのか。次のような指摘があります。「自分が自分自身以外の者、自分自身を超えた、より大きなものの一部だということを認めなければならない」

 ただし、自我が弱かったり、ましなものがないと、自我は自分を〈集合的意識〉と同一視してしまいます。具体的には「○○崇拝、ドグマ、一時的流行、ファッション、出世競争、慣習、当たり前のように信じられている常識、広告、ポップカルト、あらゆる××主義やイデオロギー」といった意識です。それらは「真の意味での交わりや体験の共有を欠いた、空虚な、形式だけの集団思考」です。人はその中で〈寂しい大衆〉のひとりにならざるをえません。

●子どもの成長と影
 では、そこからどうやって脱するのか。そこで再び「影」の持つ価値が見直されます。
 「真の共同体を獲得するためには、自我が内へと向かうこと、群衆に背を向け、根源へと向かうことが必要です。自我は自分自身の内の、より深い領域、つまり、〈自己〉という偉大な、未開拓の領域を自分と同定(?)しなければならないのです。」

 「同定」というのは、ふしぎなことばですが、「向き合う」といった意味でしょう。ユングはこの領域を〈集合的無意識〉と呼んで、「全人類が一堂に会する場であり、自身の共同体の成立の基盤である」と考えたのだそうです。

 以前に、「人類はみな兄弟」などというスローガンを聞くと、わたしは嫌な感じがしました。しかし、人間同士が公共の場で生きるときには、たしかに共通の場があるのです。

 わたしたちは子どもの世界をヘンにきれいごとにしてしまったり、逆に「影」の面ばかり見たりします。二つの面をまとまりとして見ずに、その時々に切り離しています。しかし、大切なのは、光と影との一体化です。自分の全体を光と影との統一として見ることなのです。影を見つめようとしないと、影の力は恐るべきものになります。「人が自分の影を見ることが少なければ少ないほどその力は強くなり、ついには一種の脅威、耐え難い重荷、魂の内なる恐怖の種ともなりうる。」

 さて、子どもたちの成長にとって、影にはどんな役割があるのでしょうか。
 小さな子どもたちは、影を自分の外にある恐ろしいものと考えます。しかし、思春期になって「自分」を認識するようになると、影を外部のものにはできなくなります。自分の行動や感情に責任をもつとともに、「罪悪感という恐ろしい重荷」も背負いこみます。そこから、どのように脱出したらよいのでしょうか。それは意外に簡単なことです。

 「若者にとって、この時期の自立と自己嫌悪の呪縛を切り抜ける唯一の方法は、真にこの影を見据え、面と向かい、このイボも牙もニキビにも鈎づめも何もかも自分自身なのだ、自分自身の一部なのだと認めることです。」
 この心がけは何も若者に限ったことではありません。わたしたちおとなも、生きている限り日々繰り返すべきことです。この本のタイトル「夜の言葉」とは、まさに、この影が発する無意識のことばに耳を傾けるということなのです。
posted by 渡辺知明 at 16:53| Comment(0) | TrackBack(1) | 「はなしがい通信」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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