表題どおりの文章があるわけではない。『思想としての文学』(勁草書房版全集)という論文集の最終章に「論文論」がある。論文と比較しての作文の性格として、次のような指摘がある。
「作文というものは文章による表現能力の訓練のために存するもので、形式的陶冶による教育の一手段に過ぎないものであって、それが仮に論議的なジャンルないしスタイルのものであっても、論議の内容そのものはそこでは問題ではないのである。」
戸坂潤は論文というものが内容を実習するものであるのに対比して、作文について述べている。当時の作文とは、ある種の型どおりの文章を書き写したり、それを下敷きにして文章を書かせるものであった。
ところで、現在の作文教育はどのように行われているか。「表現能力」や「形式的な陶冶」を目指すものであるか。どうやらそうではない。「○○について書け」という課題が目立つ。内容先行である。それよりも、形式的な枠づけを基礎にして文章表現の訓練をするような方法を取るべきである。だが、それが不十分である。
わたしが提唱している「文章トレーニング(『思考力を高める文章指導法』「第7章 理論文の展開(2)論証」参照)」は、まさに形式的な訓練を先行させたものであり、形式から内容を導き出す方法である。戸坂潤の指摘であらためて、その目的を確認したしだいである。
2006年09月28日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック


