2006年09月08日

はなしがい通信(240号)2006年7月号

 内田樹さんは「旬」の批評家です。わたしが最近読んだのは春日武彦さんとの対談『健全な肉体に狂気は宿る――生きづらさの正体』(角川oneテーマ21)という本です。縦横無尽と言いたくなるような話しぶりで、さまざまな問題が語られています。
健全な肉体に狂気は宿る―生きづらさの正体
健全な肉体に狂気は宿る―生きづらさの正体内田 樹 春日 武彦

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stars楽しく読めました。
stars放言録

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●「不安」からの脱出
 カバーには〈「自分探し」「自己実現」に疲れ果てた人へ〉と紹介されています。現代人の「不安」は、「自己」の確立を迫られたがために生じたものです。それが大きな負担になっています。「不安」からの脱出法について内田さんは語ります。
「「自己」って単体で存在するわけではなくて、人間たちを結びつける社会的なネットワークの中でどういう役割を演じるかということで事後的に決まってくるものなんです」
 内田さんは、授業を受け持っている女子大学の学生にもこう語ります。
「君の能力や資質のうち、他人が必要とするものを提供し続けてゆくことが『キャリアパス』なんで、どれがキャリアになるかを君は自己決定することはできないんだよ」
 この考えならば「自己」を問いつめずに楽に生きられます。「夜回り先生」として子どもたちを救っている水谷修さんがよくいう「他人のためになることをしなさい」ということばにも通じるものです。
 先の先を考える必要がなくなるので、「取り越し苦労」もなくなります。「不安」はほとんど取り越し苦労です。「こうなったらどうしよう、こうなったらえらいことになる……」という思いです。しかし、「一瞬後には何が起こるかわからない」のです。
 内田さんはこう言います。
「日常的な経験のほとんどは取り返しがつくんですよ。「リセット」ということではなくて、文脈を変えることによって、過去の意味が変わってくる、ということなんです。」
 「自分探し」と時間との関係についての関係もおもしろい考えです。「自分探し」は、地図のような広がりの一点に立って、目の前に「未知の領域」が広がっているイメージです。内田さんは、そんな「自分探し」は「すごろく」のイメージだといいます。つまり、「自分」というキャラクターは少しも変化せずに、平面的に広がった世界をただ歩いて行くだけのゲームです。ところが、実際の人生では、「一秒後の私」はもう「今の私」とは別のものです。時間とともに変化し発展してゆくのです。

●「戦闘ゲーム」と人間の成長
 内田さんは「洋服というのは、その人の一番弱い部分とか感受性のやわなところが外部に露出しているところ」だといいます。そして、服の本来の機能というのは「入れ墨」「ピアス」などから始まった呪術的なものだ」と言います。服装とは、「戦闘モード」の象徴だというのです。若い人の好むアニメには「モービルスーツもの」があります。人間が巨大なロボットに乗り込んで操縦するようすは戦闘服の延長です。かつて、若者が迷彩服を着ることが問題になりました。しかし、今では洋服からアクセサリーに至るまで、「戦闘能力」を高めそうなデザインのものが店先に並んでいます。
 このモデルとなるのが、戦闘をテーマにした「自分探し」のゲームです。「敵」と戦って勝利すれば、武器が獲得できて「戦闘能力」が高まるのです。わたしは以前に手塚治虫の漫画「どろろ」を自己成長の物語として論じました。出世のために、父親が生まれてくる赤ん坊のからだの各部を妖怪に譲り渡しました。そうして生まれてきた子どもがのちに自らのからだを取り返すために妖怪と戦っていく話です。
 これと今の戦闘ゲームとには大きなちがいがあります。今の戦闘ゲームでは、戦闘能力を高める武器が付け加わるのですが、「どろろ」では、失われている人間の能力がよみがえります。しかも、その戦いの目的が直接に自分の利害を目指すのではなく、「世界の方が自分に向けて呼びかけてくる、それにどう答えるか」という行動なのです。

●家族の構成と不幸のファクター
 内田さんは、家庭教育についても、ユニークな発言をしています。とくにおもしろいのが、家族の四つの構成単位の考えです。家族というと核家族というのが常識です。しかし、そこに、「おじさん」や「おばさん」を加えるべきだというのです。
「父がいて母がいて子どもがいる家庭に、男の子にとっては、母親の兄か弟にあたるおじさんが父親に拮抗する役割を引き受けるわけです。父親が子どもに示す価値観に対して、常にその逆を示す。それによって、家庭内にある種の流動性が生まれるわけです。」
「その家庭の中で、権威を持っている人間に対して、その人と同性でほぼ同じくらいの社会的地位にいる人間が、ドミナントな価値観とは「ずれた」価値観を示すというかたちで、親族が固定化することを防ぐ」ということです。
 たしかに、志賀直哉の小説「母の死と新しい母」でも、「おじさん」が重要な役割を果たしていますし、NHKの朝のドラマ『純情きらり』でも、「おばさん」の活躍が目立っていました。
 内田さんは、人が「不安」になることの根本には「父権制イデオロギー」があるといいます。「何か強大で強大なものが世界を一元的にコントロールしてい」るという考えです。この考えでは、何か悪いことが起こると、「単一の責任者」を考えます。それによって「不安」を解消しようとするのです。ところが、内田さんはそうは考えません。
 アントニオ猪木の次のコトバをあげています。「ピンチと言うのは無数のファクターの総合的な効果である」
 こう考えると、不幸について考えることがずいぶん楽になります。
「自分が不幸な目にあっているのは、さまざまなファクターの複合的な効果であって、もしほんとうにそこから脱したいと思っているなら、その不幸を構成しているさまざまな要素を一つずつ丹念に取り除いていくしかないんですね。一つ一つはものすごく小さいものだから、その除去作業自体はわりと簡単なんですよ。」
 内田さんはフランスの哲学が専門ですが、最初に読んだ構造主義の哲学の解説本にも個性的な考え方がたくさんありました。ここに来て人と人生について語る哲学にさらに深まりが出てきたようです。(2006年7月バックナンバー)
posted by 渡辺知明 at 15:20| Comment(2) | TrackBack(2) | 「はなしがい通信」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
記事を興味を持って読みました。
自分自身もいつのころからか「不安」を感じ、かなり生き辛く感じていたことがありました。けれども、ふと気がつくといつのまにか、その「不安」はまったく消えていたのですが。「家族」の話しも、たいへん関心があります。
渡辺さんの「どろろ」については、なるほどと思いました。もっと詳しく読みたいのですが、どこかに書いてられるのでしょうか?
Posted by hitoha at 2006年09月08日 22:21
hitohaさん、コメントありがとうございました。お答が遅くなりました。手塚治虫「どろろ」についての感想は、わたしの『放し飼いの子育て―やる気と自立の教育論』(1994一光社)という著書に書かれています。これは初期の「はなしがい通信」をまとめた本です。今でも入手できる本です。お調べください。
Posted by 渡辺知明 at 2006年09月23日 08:17
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