【連載】第16回
●接続語への注目
「説明文や論文は順序どおり緻密に読まなくてもかまいません。飛ばし読みの手がかりになるのが接続語です。接続詞にかぎらず、論理的なつながりを示す接続語については、すべてを拾います。文中に出てきたらば、四角で囲むのです。
「接続語については、学生諸君のレポートの中で、すごいのがありました。とにかく接続語は並んでいます。しかし、並んでいるだけで論理的な意味が成り立っていません。ただなんとなく並べているのです。訓練をすれば的確に使えるようになります。
「たとえば、「しかし」という接続語をとってみましょう。一般に逆接だと言われます。「前と後が逆の意味なのだ」というふうに考えられています。そう単純ではありません。たとえば、「私は雨に降られました。」と書きます。「しかし」で、どんな文がつながるでしょう。「しかし、濡れませんでした。」はどうでしょう。「私は雨に降られました。しかし、濡れませんでした。」おかしくありませんね。でも、前と後は逆ではありません。
「これは聞き手の心理に関係あります。「私は雨に降られました。」と話します。すると、聞いている人は「では、濡れたのでしょうね。」と思います。その後に、「しかし、たまたま傘を持っていたので大丈夫でした。」それが、「しかし」です。つまり、前文から想像することに反する場合、想像に反することが次の文で書かれるとき、「しかし」を使うのです。
「学生のレポートは接続語を使っているのですが形式だけなのです。内容を表現していないのです。つまり、内容との関連で理解してないのです。ですから、こういう基礎的な接続の使い方が重要です。
「接続語の問題は国語の試験の定番です。「次の四角の中へあとの部分から選んで適当な接続語を入れなさい。」というのです。日ごろから文章を読むときに、考えて読めばいいのです。これでわたしは補習塾の生徒を説得したのです。「いいか。試験には接続語の問題が必ず出るのだから、文章をよむときにも必ず四角で囲んでおけばいいのだ。」
「これはたしかに出ました。必ず出るのですから最初から予想して四角をつけておけば点は取れます。そして、接続の関係を読みとることで論理的な読み方の訓練もできるのです。たとえ試験にでなくてもいいのです。結果として生徒の頭がよくなるのですから。試験のあとで「出ただろう」というと、生徒は「出ました」と言って喜んでいました。点数も取れて頭がよくなるのですから一石二鳥です。
●「しかし・それに対して・ただし」
「まず接続語を意識することが文章の論理訓練のはじまりです。文章トレーニングでは、一つ一つの接続語の使い方を一からやり直すことができます。一般に「しかし」はさまざまな意味で使われています。別の接続語にする方がよい場合もあります。わたしは、対立する事柄が並ぶ場合には、「それに対して」を使います。また、追加的な説明では「ただし」になります。たとえば、「君に百万円をあげる。しかし、明日だ。」はおかしいのです。これは、「しかし」ではありません。「ただし」です。
「「それに対して」はこんな例になります。「君のお兄さんは勉強できるね。君はできないね。」は、「しかし」ではつながりません。ここの厳密性が重要です。これは、「君のお兄さんは勉強ができるね。それに対して、君はできないね。」という比較なのです。これが「しかし」と「ただし」と「それに対して」のちがいです。これが正確に区別されないと文章の論理もめちゃくちゃになります。
「ですから、このレポートの学生のようにただ接続語を並べても論理ができていないのです。じつは、わたし自身、論理の訓練は大学に入って論理学を学んで初めて知りました。論理の基本はもっと早く、できれば小学校から教育するべきです。論理教育などというとむずかしいと思うかもしれません。しかし、教育の方法を工夫すればできないことはないのです。問題は教育者の論理教育への関心があるかないかです。関心があればいくらでもできるのです。(つづく)