http://blog.livedoor.jp/roudokuorg/archives/51326050.html
本来、朗読は作品を生かすことによって表現者の表現行為の実現を示すものである。たとえば、どんなに塩味が好きな調理人でも、すべての食材を塩味にしてしまっていけないのと同じだ。わたしは朗読における作品の処理の仕方を「語り口」とよんで、その実現を表現よみと呼んでいる。
今回の「夢十夜」は作品のムードとその処理とがうまくいっていた。取り上げられた「十夜」は、絵画でいうなら、サルバドール・ダリのようなものである。日常的なリアリズムとはちがう作品だ。それが複数の女性たちの独特な朗読表現によって生かされていた。
また、おもしろいことに、そのようなよみ方をすることによって、文の意味がより明確に表現されていた。作品の「語り口」の把握がいかに作品の根本を規定するかという証明だろう。今後の表現活動に期待の感じられる試みであった。
私たちのライブをご覧いただいてありがとうございます。
もっとも、ライブの「上澄み」をすくい取っただけの映像記録ですので、次回はぜひとも会場までおいでください。
招待制で公開収録ライブをやっています。
私までおっしゃっていただければ、ご招待します。
次回の開催は未定ですが、またお知らせさせていただきます。
次回の公演にも期待しています。
都合のつく限り、聴かせていただきたいと思います。抽象的な詩の表現などはいかがでしょうか。