【連載】第29回
●単語をどう加えるか
それでは、これから、単語をどう加えるかという問題に入ります。第二点の「不足した文素の追加」についてはすでにお話ししました。「文素のダブリは省略できる」という話をしました。つまり、添削のうちの文章を削る場合の考え方でした。
今度は、必要な要素が文に欠けている場合の問題です。添削のうちの書き加えについてのお話です。この場合の必要な要素とは、それぞれの文の述語が要求する要素のことです。文法的には「補足文素」と言います。具体的には「何を」「何と」「何から」「ダレと」などの要素です。
例えば、「運ぶ」という動詞があります。「私は運ぶ」という文を書いたとき、この動詞はどのような文素を要求するでしょうか。述語が動詞の場合には、まず、他動詞なのか、自動詞なのかという区別が問題になります。他動詞ならば、必ず「……を」が必要です。他動詞と自動詞との区別は、動作の対象である「……を」があるかないかの問題です。
他動詞では、対象となるものを必要とします。例えば、「食べる」という動詞は、対象であるもの、つまり、パンとか、ご飯とかです。文としたらば、「私はパンを食べる」「私がご飯を食べる」と書かねばなりません。「私は食べる」だけでは、「いったい何を食べるのだろうか?」という疑問がわきます。それに対して、自動詞の場合には、「……を」という対象は必要ではありません。
動詞には、たいてい他動詞と自動詞とがペアになっています。たとえば、「始める」と「始まる」です。どうちがうかお分かりですか。例文を作ってみるとちがいが判ります。「戦争が始める」とは言えません。「戦争が始まる」となります。これには「……を」は入りませんから、「始まる」は自動詞です。
それに対して、「戦争を始まる」とは言えません。「戦争を」は他動詞「始める」の補足文素ですから、ほかに主語が必要なのです。ところが、自動詞の文「戦争が始まる」では、何か戦争が自然に始まってしまったような印象があります。無責任な感じです。他動詞の文で、「誰かが戦争を始める。」と書けば実態がはっきりします。この場合には、「ダレが」という主体が明確になるわけです。
わたしには一つの思い出があります。小学生のときのことです。雨の降った日でした。運動場に出られないので教室の中でボールを投げをして遊びました。わたしが友だちに向かって投げたドッジボールを友達が受け止めずに頭を下げて避けたのです。
ボールは窓ガラスに当たりました。それで、わたしは先生のところへ行って、「先生、ガラスが割れました。」と言ったのです。すると、先生は変な顔をしました。それから言ったことばは今でも忘れません。すごい先生です。わたしにこれだけ記憶を見つけたのですから。
「ガラスが割れたのか? ガラスは割れるのか? おまえがガラスを割ったのだろう? だから言いに来たのだろう」と言ったのです。これは一生忘れないでしょう。
その責任問題が、戦争にも当てはまります。「戦争が始まる」と「戦争を始める」とではまったく意味が違うのです。そして、「戦争を始める」 の文については 、当然、主語である「ダレが」という要素について、明確に意識をして書き込む必要があるのです。自動詞と他動詞の区別は、このような意味で大切なのです。これも添削による指導であり、ひろく「作文教育」の目的にもなります。さらに、文章の書き方に限らず、そもそものの考え方につながる重要な問題なのです。
さらに、能動文と受動文とのちがいもあります。これも、今回の添削の例の中に出てきています。というわけで、添削というものはとても重要であるということがよく分かります。(つづく)