2008年07月16日

文章推敲力を育てる添削入門講座(28)大学編

◎ある大学で文章添削の実践者のための講義をしました。あらためて驚いたことは、文章の書き方の本は数多くあっても、添削や推敲について書かれた本がほとんどないということです。そこで、わたしはあらためて、文章力の養成を、添削と推敲の角度から考えることになりました。2日間で通算7時間の講義の記録に手を入れて少しずつ公開します。(2006.2.21、2006.3.7。第1−12回は旧サイトにあります)

【連載】第28回
●「論証」の展開
 四つの文章展開のうち、四つ目は「論証」です。これまで話したように、接続語を使った文の論理的な組み立てのことです。
 わたしは「たとえば、つまり、なぜなら、……」という接続語を組み合わせた論理トレーニングを工夫しています。これについては論のかたちというものがあります。一般的には三段論法と言われています。これを、わたしをもっと明確な形に組み立てています。論の三段構成です。三段論法はそのままこの形に組み立てられます。

 (1)私は、○○は……であると考える。(意見/考え)
 (2)なぜなら、……だからである。(理由)
 (3)というのは、……だからである。(根拠)

 いちばん上が「意見(考え)」です。二段目が、「理由」です。三段目が、「根拠」です。この場合に、接続語が、「なぜなら」と「というのは」とを区別して組み入れています。理由も根拠の表現も、「……から」が受けることばになっています。こういう構成です。
 有名なソクラテスについての三段論法を当てはめると次のようになります。

 (1)私はソクラテスは死ぬと考える。(結論)
 (2)なぜなら、ソクラテスは人間だからだ。(小前提)
 (3)というのは、人間とはすべて死ぬものだからだ。(大前提)

 この展開が中心となって、論が構成されます。これを補助する接続語では、「たとえば」で事例を入れたり、もう一つ事例を増やすのに「また」を入れたり、論に対立する意見を「しかし」で並べたりして展開をします。
 「考え」のあとには「理由」が書かれます。さらに、「理由」につづけて「根拠」が追加されることもあります。ただし、新聞の投書や日常会話では「根拠」は述べられません。「常識なのだからわざわざ言わなくてもいい」というわけです。しかし、学生に論理的な文章を書く訓練をさせる場合には、必ず「理由」と「論拠」まで明確に書かせます。
 わたしの文章トレーニングでは、この三段を文章の組み立てのかたちではっきりさせています。常識に乗っている考えの隠れた根拠まで明確にさせるのです。「常識」で済まされている考えが論理づけられるのです。そして、書き手の考えもそれだけ深まるわけです。こうして人は考えを掘り下げられるのです。
 「考え」は根拠まで掘り下げたときに明確になります。ある考えについて理由は同じでも論拠がちがうという場合が多いのです。たとえば、「私は胃が悪いので薬を飲んでいる」という考えがあるとします。「わたし薬を飲んでいる」という場合に、「理由」は「胃が悪いからである」。そう言われるとなるほどと納得しそうです。しかし、論拠はちがいます。いくつか考えられます。「以前に飲んだ時に聞いたからだ」「医者にその薬を飲むと言われたからだ」「テレビのコマーシャルで見てきそうだと思ったからだ」という具合に何通りもの論拠が考えられます。そこまで深められないと「考え」のちがいが明確になりません。

●ディベートと論の組み立て
 わたしは何年か前にはやったディベート教育の方法には疑問を感じています。「情報主義」になっています。情報をたくさん集めればそれが論拠になるだろうという考え方です。論理がないのです。論としての理由づけや論理づけがないままにディベートをしています。そのせいでしょうか、一時期はずいぶん流行ましたが、近ごろは下火になって廃れつつあるようです。
 ちなみに、昭和三十年代の後半、わたしの所属する日本コトバの会では討論指導のためにディベートの理論化と実践を進めた時期がありました。今から考えれば、ずいぶん早い着目でした。今日も、わたしが持参している『コトバ学習事典』(初版1988/2刷1990一光社)には、ちゃんと討論指導の項目が入れられています。当時は大学対抗のディベートの競技会もあったそうです。その当時から、わたしの師である大久保忠利はディベートに関する論文をいろいろと書いていました。論の立て方についても論じています。
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 ところが、現在行われているディベートは、論の組み立てという点が非常に甘いのです。論の組み立てがアイマイなままディベートをしているのですから、論理的な訓練にはなっていません。議論にならないのです。情報の量によって知識の量で勝ち負けが決まる競技になっているように見えます。(つづく)
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