2012年05月24日

2012年05月23日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
6月3日(日)渡辺知明表現よみ独演会第21回の京都からのゲスト・馬場精子さんの宣伝ページです。太宰治「きりぎりす」を読んでいただきます。女性の語りの作品をこんな風に読めるひとは日本でもめったにいません。東京周辺のかたはぜひお出かけください。http://t.co/ORG47c7p at 05/23 14:36

WATANABE_tomo / 渡辺知明
「教科書的」とは批評の言葉だ。だが、今の日本では、文化的な道徳的な問題について、教科書的なレベルの知識や常識すら危ういのだ。だから朗読においても、『朗読の教科書』の価値があるだろう。議論の土台がなければ理論は進歩しないのである。まず共通の土俵を定めることから始めなければならない。 at 05/23 11:39

WATANABE_tomo / 渡辺知明
音声訳の人たちは教科書で勉強するが朗読や読み聞かせをする人たちは勉強しない。音声訳は録音に残すので文字の読み間違いやアクセントの間違いには責任を感じる。だが朗読や読み聞かせは録音が残らないから責任も感じない。文の意味を表現する難しさへの諦めもあるか。朗読の教科書がなかったからだ。 at 05/23 10:22

WATANABE_tomo / 渡辺知明
メルロ=ポンティの試みたような音声言語についての哲学が必要だ。音声のジャンルには、朗読、アナウンス、ナレーション、読み聞かせ、語り、演芸、演劇、などさまざまある。だが、「話す、語る、読む、考える、伝える」などの原理について共通基盤となるべき研究ジャンルは朗読のほかにはないだろう。 at 05/23 09:18
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2012年05月23日

2012年05月22日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読で自分の表現力の貧しさに気づいた人は「語り」のジャンルに逃れようとする。だが、朗読のジャンルに責任があるわけではない。朗読で表現力を発揮できない者が「語り」に移ろうが、演劇に移ろうが、声の表現能力が変化するわけでない。問題は現行の朗読がほとんど表現の体を成していないことだ。 at 05/22 23:34

WATANABE_tomo / 渡辺知明
俳優たちはどうして演技と朗読との間にきっちりと線を引くのだろうか。それは素朴な朗読概念にしばられているからだ。「朗読=読む」とは、そう単純な図式ではない。何を読むか、どんな作品を読むかによって、読みは表現に関わらざるを得なくなる。その連続性は拙著『朗読の教科書』で論じたつもりだ。 at 05/22 23:23

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の原理として、高低アクセントを選択するか、強弱アクセントを選択するかは重要な問題だ。単にアクセントに限らず、発声・発音はもちろん、イントネーションやプロミネンスの表現方法まで規定する。それどころか文の理解の度合から、からだの動きまで決定する強制力を持っているのだから恐ろしい。 at 05/22 23:15

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読のアクセントには2種類ある。1つは「伝達アクセント」で、アナウンスのためのアクセントである。高低アクセントを基礎にアクセント辞典に体系化されたものである。もう1つは「表現アクセント」で、朗読や演劇の台詞など声の表現の原理となる。強弱アクセントを基礎にして成り立つものである。 at 05/22 23:10
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2012年05月22日

2012年05月21日に渡辺知明が語る

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朗読においてもいくつかのコンテストがある。それぞれ規準があるのは当然だ。それは一方的に応募者が評価されるものではない。実は、応募者の側もコンテスト自体を評価する立場に立ったことを意味するのだ。だから応募する意志を持ったことが、その目標に向かう応募者の実力を高めたといえるのである。 at 05/21 22:43

WATANABE_tomo / 渡辺知明
渡辺知明・表現よみ独演会第21回太宰治特集=6月3日(日)14:30ニューオータニイン東京(JR山手線大崎駅)「富嶽百景」「猿ケ島」「きりぎりす」「吉野山」太宰の様々な「語り口」をどう読み分けるかが朗読から表現への通路だ(学割1000円)。http://t.co/3xOYNHGO at 05/21 21:40

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』をテキストにした通信教育による朗読講座がはじまった。日本朗読検定協会の通信朗読講座である。わたしが内容についての監修をしている。近くに朗読の教室がないとか、個人で受講したい方、初心者の方にとっては一つの学習の場になる。http://t.co/EuAC9kzV at 05/21 21:22

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読は原則的に文学作品を読むものである。それ以外の文章でも「語り口」が表現されれば作品となる。意外にむずかしいのは作家の講演である。おそらく話しコトバがそのまま文字化されたものではないだろう。そこからは作家の微妙な言い回しが消えているからだ。再現するには読み手の表現力が必要だ。 at 05/21 10:42
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2012年05月21日

2012年05月20日に渡辺知明が語る


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朗読というと人のために読むものと思いがちだ。すると、言葉の響き具合を気にして、自分の声を聞かせてしまう。悪い意味での読み聞かせになる。だが自分のために読むと考えたらどうか。この文章はむずかしいと思うと言葉を口に出して理解するものだ。意味を納得するときの声は確信に満ちたものになる。 at 05/20 10:10

WATANABE_tomo / 渡辺知明
谷川俊太郎「いるか」の1行目「いるかいるか」をどう朗読するか。語句で4通りだ。(1)居るか居るか、(2)居るかイルカ、(3)イルカ居るか(4)イルカイルカ。アクセントによる読み分けで意味が創造され、さらに背景感情まで加わるのだ。以下同様の作業が続くのだから表現は多様なものになる。 at 05/20 09:12

WATANABE_tomo / 渡辺知明
もしも○○の教科書などという本を見たらまず疑ってかかる。だいたい「教科書」などというものは胡散臭いものだ。「教科書的」とは世間の常識に対する批評のことばである。だが太宰治「水仙」の忠直の例がある。常識を一捻りしたい。『朗読の教科書』は「教科書」というものの意味を問い直したものだ。 at 05/20 08:25

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かつて3色で本に線を引く方法が唱えられた。原則としては好みと主観による文章の読み方だ。文をざっと読んで印象による判断を下す。『朗読の教科書』の「記号づけ」も同様のものと想像する人がいる。だがこちらは、直感による評価の記録ではない。理解と解釈の前提となる文構造の把握のためのものだ。 at 05/20 08:09
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2012年05月20日

2012年05月19日に渡辺知明が語る

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2012年5月14日上毛新聞に『朗読の教科書』の記事が掲載された。見事に話がまとまった。「中学生や高校生はもちろん教員や読み聞かせに取り組む人たち、政治家、俳優など日本語を表現したい人たちに読んでもらいたい」というまとめがいい。 http://t.co/4EmiRpi8 at 05/19 22:58

WATANABE_tomo / 渡辺知明
2012年7月29日(日)八王子で子どもいちょう塾の講師として『朗読の教科書』をテキストにして朗読講座を開催します。対象は小学校4、5、6年生、無料で受講できます。発声・発音の基礎練習、リズムある読み、詩や物語の読みを楽しみながら行います。http://t.co/c9CZVEYl at 05/19 19:44

WATANABE_tomo / 渡辺知明
本日、小学校国語教科書で声に出して読む課題を見た。教員はどうやって指導したらいいのか戸惑うにちがいない。だが、拙著『朗読の教科書』には、さまざまな指導の方法が書かれている。アカデミー割引(5冊以上1冊2000円送料無料)を生かして、多くの教員の方々に入手してもらたいたいと思う。 at 05/19 19:37

WATANABE_tomo / 渡辺知明
6月3日(日)渡辺知明表現よみ独演会第21回の京都からのゲスト・馬場精子さんの宣伝ページです。太宰治「きりぎりす」を読んでいただきます。女性の語りの作品をこんな風に読めるひとは日本でもめったにいません。東京周辺のかたはぜひお出かけください。http://t.co/ORG8EMgz at 05/19 19:32

WATANABE_tomo / 渡辺知明
音読、朗読、語り、演技――このちがいが原理的に説明できるか。それぞれの表現を磨くには、理論的な目標設定が必要だ。天才的な表現者ならば、無意識のうちに自分の表現の到達目標が定められる。だが一般人には、まず理論的な区分が必要なのだ。『朗読の教科書』の一つのテーマはこの区分にあった。 at 05/19 09:36

WATANABE_tomo / 渡辺知明
「記号づけ」は演劇の台詞の分析にも有効だ。『朗読の教科書』では「ごん狐」の対話を例にして、演劇の台詞の基礎的な分析の方法を示した。まず、台詞を声で理解して読むことが演技の基礎になる。下手な俳優は演出だよりの演技をしている。大竹しのぶのように徹底的に台本の理解にこだわるべきである。 at 05/19 09:29

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読は単なる趣味ではない。人に聞かせたいという思いから始まるが、訓練を続けるうちに自分の言語能力の高まりを感じる。日常の話し方や人との対話の能力が高まるのだ。なぜなら、朗読とは音声言語能力訓練法の1つだからだ。その理論的な基礎づけと訓練方法は、拙著『朗読の教科書』に書かれている。 at 05/19 09:17

WATANABE_tomo / 渡辺知明
通信教育での表現よみの指導を考えている。テキストを変えるだけで、一般社会人の話しかたから、詩や小説などの文学的な表現能力の向上など、さまざまな音声言語訓練に対応できる。というのも、文学作品のテキストの「語り口」というものがそれだけ豊かだからだ。狭い意味の朗読教育では対応できない。 at 05/19 09:08

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『朗読の教科書』のアカデミー割引を考えました。学校・教育関係の方々に読んでもらいたいからです。5冊以上まとまったらお知らせ下さい。送料無料の1冊2000円(定価2205円)でお分けします。対象は、学校教員、学生、朗読グループ代表者などです。10冊以上なら解説講習会も引き受けます。 at 05/19 08:56
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2012年05月18日

2012年05月17日に渡辺知明が語る

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発声は口先のものではない。朗読の表現全体を貫くものである。マイクを使うことに慣れてしまうと気づかないが、身体の沈み込みが、息、ノド、舌、口という一連のつながり――息のコントロールから発音の明晰さまで支配している。『朗読の教科書』では、息の吐き方を基礎にした発声の訓練法を示した。 at 05/17 21:04

WATANABE_tomo / 渡辺知明
文章を書く過程において、自分の文章を正確に読んで意味を理解することは重要だ。書く過程の半分は読む過程だからである。だが、文章論の本でそれを重視したものはない。『朗読の教科書』での記号づけは、文章構造の読み取り作業の方法でもある。その読み方が文章構成力を育てるのも当然のことである。 at 05/17 15:19
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2012年05月17日

2012年05月16日に渡辺知明が語る

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学校で教科書を読まされた苦い経験が畏まった朗読の原点にあるのではないか。体を妙に緊張させて文章を読み上げる。聞き手にどう聞かれるかドキドキしている。どうしたら、読んで楽しい聞いておもしろい朗読ができるか。まず、声に出すことで自分が作品を理解する楽しみを味わうことから始まるだろう。 at 05/16 22:42

WATANABE_tomo / 渡辺知明
日本語において音声言語の文法というものはほとんど手つかずの状態である。というのも、文法研究者たちが取り扱うのは文字に書かれた文であって、おそらく声に出して研究するような人たちはほとんどいなかったからだろう。拙著『朗読の教科書』は実は音声言語の文法まで意識した画期的な本なのである。 at 05/16 19:39

WATANABE_tomo / 渡辺知明
3月25日放送の『池坊美佳のさわやか文庫』Podcast Blogがアップされた。『朗読の教科書』の企画から完成まで、出版社と朗読検定協会の話が聴ける。朗読と表現よみとの関係も話した。わたしは「吾輩は猫である」を読んだ。ぜひお聴きください。http://t.co/PVduJ2Bw at 05/16 12:04
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2012年05月16日

2012年05月15日に渡辺知明が語る

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拙著『朗読の教科書』は朗読上達のための実践の本であるが理論の本でもある。理論が役に立つのは、自らの実践に行き詰まりを感じて、その打開の道を探すときである。朗読の勉強でも同じだ。まずは気に入った作品をひたすら読んで見ること、そして、実践的な問題点を発見したとき理論に頼ればよいのだ。 at 05/15 11:11
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2012年05月15日

2012年05月14日に渡辺知明が語る

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かつて拙著『表現よみとは何か』(1995)でミハイル・バフチンの理論をヒントに朗読における対話構造を論じた。文の各部には常にダレかがダレかに呼びかけて応える構造がある。それをとらえて読み分けるという論であった。今は『朗読の教科書』で、そのための作業法として記号づけを示している。 at 05/14 12:06

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「自由に朗読しなさい」という課題ではなく、ある種のカセを与えて、「これをこんなふうに読みなさい」とする。それによって、無自覚に読んできた朗読の方法が問われることになる。それにどう対処するかという努力が、読み手を成長させる。これは朗読ばかりではなく、指導や教育の基本に通じるものだ。 at 05/14 11:55

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拙著『表現よみとは何か』(1995明治図書)でミハイル・バフチンの理論をヒントに、朗読における対話構造を論じた。文の各部には常にダレかがダレかに呼びかけて応える構造がある。それをとらえて読み分けるという論であった。今は読み分けの具体的な作業方法として記号づけという方法がある訳だ。 at 05/14 11:46

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朗読にとって文学作品の理解と解釈とは必要不可欠な要素だ。理解と解釈との間には大きな距離がある。まずぎりぎりまで文そのものを読みこんで理解せねばならぬ。解釈は次の段階だ。だがあまりに早く解釈に飛躍して作品が論ぜられる傾向がある。単語で意味を拾うのでない1文ごとの正確な理解が基礎だ。 at 05/14 10:35

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拙著『朗読の教科書』は上手な朗読の仕方が書かれているのではありません。声に出して本の内容を理解しながら読める能力を身につけるための方法が、その訓練方法とともに書かれているのです。どうしたら本の内容がたっぷり味わえるか。どうしたら声に出しながら内容を理解できるか。関心ありませんか。 at 05/14 10:24

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』は344頁もあります。「重くて持ち歩くのが大変だ」と苦情が出ます。でも、発声・発音からアクセント・イントネーションの音声理論の本、文法入門の本、文学作品の文体論の本と3冊分なのですから我慢してお持ちください。ほかに文庫本が1冊あれば朗読の勉強には十分なのです。 at 05/14 10:20

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朗読はだれでもできる。勉強なんかしなくても読めると思うかもしれない。それなりに読める。だが、そもそも文章が読めているかどうかが問題だ。学校教育では、文を黙読して抽象的に意味を読み取って声に乗せることは学んでいる。だが、声に出して読みながら意味を生み出すという訓練はしたことがない。 at 05/14 10:02

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の理想は、見せられた文学作品をその場でいきなり表現して見事に読めることだ。そのための基礎が必要だ。文字の読みから始まって、文の切れ目が見え、意味のつながりが分かり、文と文との論理関係が見通せることだ。その能力をつける有効な修行が記号づけである。あらゆる文を読むための訓練だ。 at 05/14 09:46

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の表現能力の基礎とは、様ざまな技術を目的に応じて使いこなせることだ。アクセントについて言うなら、辞典通りのアクセントで読めるかどうかではない。そんなものは調べたらわかる。重要なのは技術の自由さだ。例えば、「こころ」の3つの音節のいずれにでもアクセントをつけて読めるかどうかだ。 at 05/14 09:03

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読を聴くというとき、聞き手は作品を聴くのか、読み手の表現を聴くのか。入り口は読み手の声やキャラクターなのだろう。だが、いつの間にか、読み手がその人でなくなり、別世界のできごとを語っているように聞こえてきたらしめたものだ。読み手はもちろん聞き手も作品の世界にはいっている証拠だ。 at 05/14 00:12
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2012年05月14日

2012年05月13日に渡辺知明が語る

WATANABE_tomo / 渡辺知明
拙著『朗読の教科書』をテキストにした通信添削講座を考えた。読んだだけではなく実際に指導してほしいという声も聞く。東京周辺なら指導している場はあるが、遠方の方たちには録音のやり取りで指導ができるかもしれない。まず数人のテストケースを考えている。受講を希望される方はご連絡ください。 at 05/13 19:06

WATANABE_tomo / 渡辺知明
朗読の表現の指導は禅に似ている。黙読によって解釈した観念を声に乗せるわけではない。読み手が声を発するとともに解釈に到達する手助けをするのだ。たとえ言葉による指示が介在するときでも、笑って読めとか、目を開いて読めとか、腰で声を止めろなどであって、作品の意味や解釈を語るものではない。 at 05/13 09:32
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